黒猫・モルグ街の殺人、他五篇(ポー著)
こういう表題は岩波文庫ならではのもの。
一時期、ラカンのエクリを読もうと発起して買ったのだが、その冒頭にポーの「盗まれた手紙」についての考察があったので、こちらを先に読もうと思って積んどいたら、随分と時間が経ってしまった。
途中まで読んでいたものを、今度最後まで読んでみた。
作品としてはそれぞれとても面白い、しかし、それ以上に注意を引くのが著者の生き方であり、先日も三島由紀夫の評伝を読んでいて思ったのだが、私たちの住む世界を、まさに客観的に捉える事は普通の人には至難であるのではないか、もし、それが可能だとするならば、その人は普通の人ではない人、たとえば狂人と呼ばれる人なのではないのかということだ。
そして、それに奇しくも該当する一人であるのは、この著者ではないのか。
著者の発言は、解説によると嘘言もあるというのだが、この世の中の事は分析可能であるという立場にいるようだ、本作の後半、デュパンが登場する3作でその傾向が伺える(推理小説の先駆けであるから当然と言われるかもしれないが・・・)。
しかし、その数学的な論理性の上で小説や詩を創造する事ができるという彼の思想は、実際には、限りなく実現不可能である事は、ご納得いただけることだろう。
それでも、ポーのその精神(確信)により創り出された作品群は、まことに素敵なものであるのだ、それは、フィクションであるという一言では片付けられないように思うのだ。
しかし、残念な事に、それらが生前に評価されることはなかったのだが・・・
一時期、ラカンのエクリを読もうと発起して買ったのだが、その冒頭にポーの「盗まれた手紙」についての考察があったので、こちらを先に読もうと思って積んどいたら、随分と時間が経ってしまった。
途中まで読んでいたものを、今度最後まで読んでみた。
作品としてはそれぞれとても面白い、しかし、それ以上に注意を引くのが著者の生き方であり、先日も三島由紀夫の評伝を読んでいて思ったのだが、私たちの住む世界を、まさに客観的に捉える事は普通の人には至難であるのではないか、もし、それが可能だとするならば、その人は普通の人ではない人、たとえば狂人と呼ばれる人なのではないのかということだ。
そして、それに奇しくも該当する一人であるのは、この著者ではないのか。
著者の発言は、解説によると嘘言もあるというのだが、この世の中の事は分析可能であるという立場にいるようだ、本作の後半、デュパンが登場する3作でその傾向が伺える(推理小説の先駆けであるから当然と言われるかもしれないが・・・)。
しかし、その数学的な論理性の上で小説や詩を創造する事ができるという彼の思想は、実際には、限りなく実現不可能である事は、ご納得いただけることだろう。
それでも、ポーのその精神(確信)により創り出された作品群は、まことに素敵なものであるのだ、それは、フィクションであるという一言では片付けられないように思うのだ。
しかし、残念な事に、それらが生前に評価されることはなかったのだが・・・