110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

草迷宮(泉鏡花著)

 本書は岩波文庫版で読む、といっても一読で、泉鏡花の文体を、私は一読で読み切れるものではない。

 この本に引きつけられたのは、多分「地獄少女」の影響だろう、現代のアニメと泉鏡花の伝奇小説との比較はいかなるものなのか?
 
 読んでみてわかる事、それは、欠乏しているとそれを補うべく技術が発達するということ、「なんじゃそれは?」と思うだろうが、それはこういう意味だ、鏡花の文章には、地獄少女のように、画像も音楽も無い、ただ、文字・文章があるだけなのだが、その文章の中に「強力に」画像・音・匂いなどの感覚が立ち上がってくるのだ。
 文章の力では(地獄少女は)鏡花にかなわない。
 わかるところだけの文章を追っていくだけでも、頭がくらくらするような印象を受けてしまう。
 これは、凄い!!

 しかし、残念ながら、地獄少女の様な思想性は感じられない、いや、もしかすると鏡花は、自然に溶け込んでしまって、思想などという小賢しいことなど必要なかったのではないかとも思う。
 それは、本書内で悪魔と言われる悪左衛門が、客僧に「おお、悪・・・・魔、人間を呪うものか」との問いかけに「否、人間をよけて通るものじゃ。清き光天にあり、夜鴉の羽うらも輝き、瀬の鮎の鱗も光る。隈なき月を見るにさえ、捨小舟の中にもせず、峰の堂の縁でもせぬ。夜半人跡の絶えたる処は、かえって茅屋の屋根ではないか。しかるを、故(わざ)と人間どもが、迎え見て、そこなわるるは自業自得じゃ。・・・・」と、棲み分けをし穏便に暮らす彼ら(人間であらぬもの)に対し、無聊に分け入ってくる人間の性(因縁)を指摘するところが、たいそう気になった。