不揃いの木を組む(小川三夫著)
本書は2001年草思社刊行のもの、私は文春文庫版(2012年初版)で読む。
この著者は西岡常一の内弟子である、西岡氏の文章を先日読んだので「ある共通点」があろうかと本書を読む。
その「ある共通点」とは、法隆寺は木造建築だが一千年以上持っている、コンクリートは一見頑健に見えるが寿命は百年程度だ、適材適所と言われることは承知の上で、長年、保存したい様な建築物は、木造で作るべきか、それとも、現代風にコンクリート等の材料で作るべきであろうか?
それは言い換えれば、千年以上前の建築物を、現代の建築技術を持ってしても凌駕しきれていないことでもある。
そこには、時間という考え方があるのではないか、と本書を読んで思った。
本書では、鵤(いかるが)工舎での、職人の養成(教育)について様々な意見が出てくるが、人それぞれの素養に会わせて成長を見守るということだ。
逆に、頭が良く、要領が良い者、それは、仕事を覚えるのも早いのだろうが、彼は仕事に極限まで取り組めないだろうと、批判している。
それは、仕事の中には、頭での理解だけではなく、身体に染み込ませなければならないところがあり、そのためには「時間」が必要だと言うのだ。
なるほど、今時の考え方は、早く、ある程度のレベルまで覚えてしまうことを良しとする風潮があるが、これとは反対に、100点もしくはそれを超えるレベルまで仕事を研ぎすますことを目的にするという考え方である。
これは、万人にできることではない、が、ある時期の日本の思想的な土台でもあった考え方だ。
さて、これをどう評価するべきか?
この著者は西岡常一の内弟子である、西岡氏の文章を先日読んだので「ある共通点」があろうかと本書を読む。
その「ある共通点」とは、法隆寺は木造建築だが一千年以上持っている、コンクリートは一見頑健に見えるが寿命は百年程度だ、適材適所と言われることは承知の上で、長年、保存したい様な建築物は、木造で作るべきか、それとも、現代風にコンクリート等の材料で作るべきであろうか?
それは言い換えれば、千年以上前の建築物を、現代の建築技術を持ってしても凌駕しきれていないことでもある。
そこには、時間という考え方があるのではないか、と本書を読んで思った。
本書では、鵤(いかるが)工舎での、職人の養成(教育)について様々な意見が出てくるが、人それぞれの素養に会わせて成長を見守るということだ。
逆に、頭が良く、要領が良い者、それは、仕事を覚えるのも早いのだろうが、彼は仕事に極限まで取り組めないだろうと、批判している。
それは、仕事の中には、頭での理解だけではなく、身体に染み込ませなければならないところがあり、そのためには「時間」が必要だと言うのだ。
なるほど、今時の考え方は、早く、ある程度のレベルまで覚えてしまうことを良しとする風潮があるが、これとは反対に、100点もしくはそれを超えるレベルまで仕事を研ぎすますことを目的にするという考え方である。
これは、万人にできることではない、が、ある時期の日本の思想的な土台でもあった考え方だ。
さて、これをどう評価するべきか?