110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

音楽の基礎(芥川也寸志著)

 本書は岩波新書版(1971年初版)を読む。

 音楽の基礎ならば、義務教育の音楽や、高校の音楽でも習ったつもりだったのだが、もう50にもなって読んだ本書が一番身に浸みた。
 それは、目が出ないながらも弾き続けたギターがやっと手になじんできたからだ。
 音楽にも、作る人、聞く人、する人といくつかの立場があって、聞く人はあまり細かいことには気を配らなくても良いところがあると思う。
 しかし、作る人とする人とは、少し様子が違っていて、音楽の仕組みを、多少は知らないとなかなか上達できないことになる・・・ただ、芸術には一握りの天才は常にいるのだが。

 そんなわけで、ギターを弾くという目線から本書は読んでいく、べつに、ギターの弾き方は書いていないけれども、音楽の基本的な仕組みをもう一度再確認するということでは有効だ。
 本書の最初の章は「音楽の素材」というのだが、そのはじまりは「静寂」であり、そんなところで妙に納得してしまった。
 そして、小冊子の最後にこうある「・・・ちょうど、この世に何十万種類の植物や動物たちが生きていようとも、『植物』という名の植物、『動物』という名の動物、『生物』という名の生きものは実在しえないのと同じように、『音楽』という名の音楽、いわば(音楽そのもの)はつねに私たち自身の内部にしか存在しない。・・・私たちの内部にある音楽とは、いわばネガティブの音楽世界であり、作曲する、演奏するという行為は、それをポジティブな世界におきかえる作業にほかならない。音楽を聞こうとする態度もまた、新たなネガティブの音楽世界の喚起を期待することであり、作り手→弾き手→聞き手→作り手という循環のなかにこそ音楽の営みがあるということは、遠い昔もいまも変わりがない。積極的に聞くという行為、そして聞かないという行為は、つねに創造の世界へつながっている。この創造的な営みこそ、あらゆる意味での音楽の基礎である」
 少々、哲学的、教条的で、内容も難しいのだが、音楽自体が目的ではなく、ほかの事をしている最中に副次的に聞いているという風潮(「ながら族」という古い言葉がある)に対しての著者の見解だ。
 これも、自分が弾き手として音楽に取り組んでみると少しずつ見えてくる、最初は譜面のとおりに弾いているつもりでも本当の音は出てこない、本人はそれで弾けているつもりなのだ、それから、まぁ飽きもせずに同じ曲を弾いていると、突然、同じ譜面なのに「少し」違った音が聞こえてくることがある。
 そう、聞くのにも少しの努力や忍耐がいるようなのだ・・・私には、その「少し」がわかるのに、数十年という時間が掛かったのだが・・・・普通の人は、もっと早く気づくのだろうか?