だめだこりゃ(いかりや長介著)
本書は新潮社平成13年刊行のもの、私は、新潮文庫版(平成15年初版)で読む。
古本を読むと、故人のよさを発見してしまうことがよくある。
この著者も、自分の見てきたドリフターズのイメージから勝手に想像してきた人間像と大きく隔たった人だったことを発見することができるのだ。
一言でいうと、謙虚なのだ。
結成当時、クレイジーキャッツやコント55号などの、才気にあふれたグループが存在していたことにたいして、何も特徴がない四流の芸人だという意識でコントを演じ続けたこと、その後「全員集合」が視聴率50%を超えてもおごることなく、自ずからの立場を変えないその姿勢。
そのために、様々な軋轢もあったと思うのだが、本書では、そういう突出した才能がないと思われた人が寄り集まって努力することで、とんでもない結果を残すという好例を見出すことができる。
たぶん、本人が思っている以上に、才能は持っていたのだろう、しかし、それを開花させるには驕らずに続けるという「謙虚な姿勢」という(目立たない)才能が必要なのだろう。
あれだけの仕事をした人が、あまりに謙虚なので却って「嫌味」に解釈することもできるのだが、一見地味な、そして、嫌われ役を演じていた著者の存在が、ドリフターズをあそこまで育てたと言ってよいだろう。
古本を読むと、故人のよさを発見してしまうことがよくある。
この著者も、自分の見てきたドリフターズのイメージから勝手に想像してきた人間像と大きく隔たった人だったことを発見することができるのだ。
一言でいうと、謙虚なのだ。
結成当時、クレイジーキャッツやコント55号などの、才気にあふれたグループが存在していたことにたいして、何も特徴がない四流の芸人だという意識でコントを演じ続けたこと、その後「全員集合」が視聴率50%を超えてもおごることなく、自ずからの立場を変えないその姿勢。
そのために、様々な軋轢もあったと思うのだが、本書では、そういう突出した才能がないと思われた人が寄り集まって努力することで、とんでもない結果を残すという好例を見出すことができる。
たぶん、本人が思っている以上に、才能は持っていたのだろう、しかし、それを開花させるには驕らずに続けるという「謙虚な姿勢」という(目立たない)才能が必要なのだろう。
あれだけの仕事をした人が、あまりに謙虚なので却って「嫌味」に解釈することもできるのだが、一見地味な、そして、嫌われ役を演じていた著者の存在が、ドリフターズをあそこまで育てたと言ってよいだろう。