110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

宗教哲學(波多野精一著)

 本書は岩波書店昭和19年に第1刷が刊行されたもの、私は、昭和22年の第2刷を読む。
 定価は80円とあった。

 宗教と哲学という関係に違和感を覚えるかもしれない、しかし、かつては、宗教も哲学も科学もある意味混在していたのだ。
 それが現在では、いわゆる自然科学の権威は向上し、哲学、宗教という部分は往年の輝きは失ってしまったようにも思える。
 本書では、哲学の究極の目的「真善美」に至るには絶対的他者が必要でありそれには宗教への接近が必要であると説いているように思う。
 相当思い切った考え方だなと、批判的に読んでいたが、普遍と個別、有限と無限などに含まれる問題点について、気づくことができた。
 私たちは言葉を使うのだが、この中には普遍性を伴ったものが多いと思うのだが、ここに固有名詞という個別性が割り込んできたりする。
 それならば、この普遍で構造される言葉のうちにある、個別である固有名詞とはどういう振る舞いなのだろうか・・・そのよなことだ?
 そして、普遍の行き着く先にあるのは「イデア」なのか「神」なのか、どうなのだろう?

 そんなたわごとを考えながら読んでいて最後の奥付に上記記載があった。
 この本は昭和19年という戦前に生まれ出て、戦後にも生き残った本だ。
 宗教や哲学といった観念的・理性的な仕事の裏には戦争という現実があったはずだ、だから、本書には書かれたもの、すなわち表側の内容と、書かれなかったもの、すなわち裏側の内容とがあるのではないかと思うのだ。
 こんな考え方は、当然自分勝手な思い込みであるのだが、本書を読んだということは、そういう時代を感じることもあったのではないのかと思うのだ。
 本書の「過去は無である」という内容に触れる時、それは神学的・哲学的なことなのか、それとも現実から湧き出る切実な願いなのか、少し気持ちを落ち着けてから、あれこれ考えてもよいのかなと思ったのだ。