110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

中国化する日本(與那覇潤著)

 本書は文藝春秋社刊行のもの、現在は増補板として文春文庫版としてある。

 オリジナルを読んだので増補の部分が気になるところだ、全体的には面白い観点なのだが最後の現代に近づくにつれて論調が不明瞭になる気がする。
 日本は「再江戸時代化」を繰り返すだけで停滞している、その呪縛を逃れるためには、「中国化(一種のグローバル化)」する必要性があるし、また、必然的にそういう状況に陥り対応を迫られることになる。
 「中国化(現在の中国という国を見習えという意味とは異なる、本書ならではの造語)」が必要だという。
 いわゆる、グローバル化が救世主になるかどうかは、今ひとつ私の稚拙な頭ではわからない。
 もしかすると「中国化」という観念のもとに、形而上学を作り上げてしまったのかもしれないなと思った。

 だから、関係ないところを突っ込むと「楢山節考」は木下惠介監督の方が深沢七郎の意向が出ていると思う、確か、作者自身が製作に関わっていたと思う、映画自体の仕上がりは私の得意とするところではない。
 新世紀エヴァンゲリオンについて「侵略者との戦闘よりも親子喧嘩を優先する奇妙なSFアニメ」とあるが、劇場版などは見ていないので言及できないが、最初のTV版について私は、碇シンジ君という引きこもり少年の心象世界を使徒との戦闘というSFアニメに脚色したものという解釈でとらえている。
 だから「侵略者との戦闘よりも親子喧嘩を優先する」のは当たり前のことだと思う。
 なんてね。

 歴史というものが、例えば「中国化」という法則で演繹できるものなのかどうか?
 なかなか、そういかないのが歴史の難しさなのではないのかという感慨と、やはり、歴史は遠くから眺めないと正確に捉えられないものなのかとの思いがよぎった。