110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

神への告発(箙田鶴子著)

 本書は1977年筑摩書房から刊行されたもの、私はは1987年、ちくま文庫版で読む。
 
 相模原市緑区の障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が殺害され、27人が負傷した事件があった。
 世論は、犯人の残虐性を今もとりあげている。
 しかし、本書を読んで見ると、その残虐性はもっと健常者の身近なたところに潜んでいるのではないのかと思ってしまう。
 
 それは、以上のように疑問を書いている私自身にも向けられていることだ。

 本書の内容、それは1997年という古い世間の話であるとか、やまゆり園の入所者の家族を見れば悲観するだけではないと分かるのではないかという意見もあろう。
 しかし、あなたの身近に手の掛かるものが忽然とあらわれたらいかがだろう?

 私は、自分の母親の介護をしているつもりだが、本当に彼女は満足しているのだろうか?
 多分、彼女は満足はしていないのだろうが、それを一線を越えることなく、あくまで表面的かもしれないが、笑って暮らせていけるのだろうか?
 今は、要介護1なので自立度も高いのでやっているが、もし要介護5になったらどうだろうか?
 (実は、そうなったら施設に預けるつもりなのだが、その時彼女が家に居たがったらどうか?)

 実は、本書を読んでいて、しらずに、この著者は介護者の気持ちも知らないでわがままだと思いながら読んでいた。
 介護とは、被介護者についてだけでなく、介護者(つまり私)の立場から考えなければいけない・・・と思っているからだ。
 しかし、それだけではないということも事実だ、それを本書では抉るように叙述している。
 
 著者は障害者という立場から本書を著している、そして、健常者だと思われる私たちは、まさに神の視点で本書を読む。
 しかし、考えると、いずれ歳を重ねていけば、身体が不自由になる、人に頼らねばならなくなる。
 その為の心構えは身体が動くそのうちに準備しておかねばならないのではないか?
 何も、特別のことではないと思う。
 本書でも、最後に弥勒菩薩に仮託して描かれていたが、どんなに不合理でも、その中に憤ることなく生きることができるかどうかが求められてくるのだろう。
 それは、逆に1977年よりも更に難しくなってきているのしれないね。

 この表題の神は人かもしれない、そして、神は告発されるのだ。