110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

自伝の人間学(保阪正康著)

 本書は昭和63年に新潮社より「自伝の書き方」として刊行されたものを、新たに表記の題名に改題し、平成19年に新潮文庫版として刊行されたものです。

 自伝は、よほど客観的に自分を見つめることができる人でなければ、その著書に自分の予期せぬ本性を現してしまうものだ。
 それは、とても恐ろしいことなのだな。
 
 そんなことを思いつつ、最近のSNSでは自分をさらけ出すのが当たり前のことになっていることが気になった。
 まぁ、ブログという形で多少とも自分をさらけ出しているわけだから、功罪なんかをとやかくいう立場ではないのだが、本当に大丈夫なのかなと思ってしまうのだ。
 それは、本書にもある「人間のもつ二面性」ということなのだ。
 どんな人にも表と裏がある、だから、それを人目に見えないようにする方が、何かと良いように思うのだが、そこを、あえて(?)さらけだすわけだ。
 まぁ、本人は見せたくないところにはふたをしているつもりだろうが、ふとしたところから、それ(裏の部分)が滲み出したりするわけで、それが、例えば「炎上」なんてことになるのだろうけれども、現在ではそれも想定して暮らしているような風潮もあるようだね。
 でも、それって、逃げ道を塞ぐだけだよね?違うかな?

 世の中が便利になったって、人間の裏側はなくならないわけだから、そこを世の中に見せないようにすることも大事なのではないのかな?
 
 最近、いかにもこの世の中には「善」とか「正(しい)」とかがあるような論調が支配しているような気がするけれども、結論は「そんなものない」だよね、その無い上で「どうすればよいか」を考えることでしょう。
 (先の戦争で日本国民は骨の髄まで味わったはずだけれども、それは戦前派だけなのかな)
 まぁ、それが先ほどの「逃げ道」ということにもつながるわけで、それが無い世の中は「地獄」なのかもしれないね。
 意外と気づかないことかもしれないけれども。

 まぁ、こんなこと書いてもどうしようもないけれども、本書を読んで楽しんだことがあるのだ。
 それは、本書を読みながらそこに書かれた自伝をAmazonで検索して、手ごろな価格ならば即注文するという、以前ならできないような贅沢をさせてもらったのだ。
 これは、良かった。
 人間てやつはどうしようもないものだけれども、興味がつきない愛すべきものでもあるのだ。