110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

私とは何か(平野啓一郎著)

 本書は講談社現代新書2012年初版のもの。

 さっき買ってきてもう読んだ、遅読の私にしては珍しいのだが、題材に相当共感したのだろう。
 そんなわけで、ちょっと頭がくらくらする、オーバーワークだ歳はとりたくないものだ。

 内容は、個人という考えで人間(自分)を縛ることは不合理だし、場合によってはそれにより(人格かな)破綻するからおよしなさいというもの。
 そういう呪縛から逃れて、その時々の環境に合わせた「分人」化が妥当だよ、というもの。
 なるほど、と思う。

 ただし、疑問はある。
 本書で文人のステップわけがされているが、このもっとも他社と疎遠なものが「ステップ1」なのだが、実はさらに疎遠な「ステップ0」がありそうだということ。
 すなわち、分人という考え方は「他者」を意識することを示しているのだが(そのことに異論はないのだ)、この他者は「私が意識する」という観点で括られている。
 しかし、たとえば、交差点ですれ違うなど、完全に相手が意識されていない場合については考慮されていない。
 この場合は、無法になってしまうのだ。
 それは、社会的に問題である(何を言いたいのかと言うと歩きスマホ問題みたいなことを言いたいわけだ)。
 だから、その点でもう少し変更が必要かもしれない。

 また、本書の中で「自分のことは自分が良く知っている」というフレーズがあるが、確かに、他人よりは知っていると思い込めるだろうが、必ずしもそうではない。
 オリヴァー・サックスの著作など読むと、人間の意識などというものがいかに不安定なものかがわかる、更に、自分の心臓も不随意で動いているしそうでないと困るのだが、私を構成している身体の全ての動きを意識することはできない。
 だから、無意識と思える行動のうちに私の身体が原因のものも多々あるのではないかと思う。
 
 だから、本書には矛盾があることは簡単に指摘できる。

 でも、この「分人」という考え方は評価できる。
 ただし、いかに独我論に陥らないかというところがポイントになるのではないかと思う。

 この著者の「日蝕」を読んで凄い難しい本だと思って敬遠したのだが、他の作品にも本書のような問題意識が反映されているらしいので(ちまちまと)読んで見たくなった。