110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

それをお金で買いますか(マイケル・サンデル著)

 本書は早川書房2012年刊行のもの。

 本書は一時期日本でも注目された『これからの「正義」の話をしよう』の後に出た著作だ、私は、ほとんどの本を古書で読むので、本書のことは知らなかった、だから、どの程度売れたのかはよくわからない。
 結論から言うと、前作の「これから・・・」よりも、本作のほうが売れて欲しかった気がする、前作の哲学的話題よりは本作の方が日本の国情を考える上では有効だったのではないかと思うのだ。
 まぁ、実践的な面では「なるようにしかならない」けれども、思考実験みたいなことはできるだろう。

 要はこういうことのようだ。
 いわゆる資本主義が成熟~蔓延することで、本来「お金で買えない(「市場と市場価値がなじまない生活領域」とある)ものにまで価格が付くようになってきた。
 そのために、今一度資本主義の中心的な考え方、すなわち「市場」のあり方を考え直す必要があるというものだ。

 本書を読んでいろいろ書きたいことがあったのだが、自分の身近な目線で言うと「介護」についてだ。
 介護保険制度なるものが出来て私の家でも利用している便利な制度だが、前のコラムでも書いたのだが、わが家では、もし、被介護者(母親)が一人暮らしだったならば、今の介護度認定では全然たりない。
 すなわち、家事などを「シャドーワーク」と言われたことがあるが、未熟ではあろうが、私が同居して手助けしてその差を埋めているところがあるのだ。
 そして、多分、現在でも介護保険を利用せずに、介護をしている家も結構あるだろう。
 その見えない金額はいかほどのものだろう?
 介護保険制度は、各世代によって捉え方は違うだろうが、介護を金銭化したという効果があるのではないか?
 そうすると、本作と同じ視点で、介護と言う生活領域に市場が介在してくるわけだ。

 問題点は、現在の働き方が、夫婦共稼ぎであることや、少子化がすすんでいることから「介護は国がするべきもの」という方向へ世論が傾かないかということだ。
 その時に、いままで埋没してきたお金が浮上してくるのではないだろうか?
 私見では、今でも、介護認定が厳しくなってきている、さらにこの先どうなるのだろうか?
 (それらの「お金」を国はどう負担するのだろうか、破産(破綻)できないので、認定をただただ厳しくするだけだろうね)

 私は、別に国を擁護するわけではないが、介護保険なるものを作らなければ、原則、家族や親族で面倒をみるという風にしていれば、良かったのではなかろうかと思うのだ。
 ひどい話と思われるかもしれない、でも、介護に関して国が市場原理を持ち込んだのだら、その責任は国が取らなければいけないと思う。
 それができないのならば、そう、「お金で買えない」ものとして、事業化などしなければよかったのだ。

 最近、安易に国が施策として様々な「ばらまき」政策を行ってきている、「教育の無料化」などもそうだろう。
 べつに、無料化する必要はない。
 教育の質を上げるように努力するべきだ。
 例えば、「高校卒業」の免状を持った人が増えるのは統計的には誇れるのかもしれないのだが、内容は、すなわち学力は全然伸びていなければ本末転倒だ。
 
 「教育はお金で買えない」と思わず書こうとして思いとどまった。
 そう、塾や予備校などは効果を上げているではないか?
 そうだよ無償化の枠で行くなら、そういう人は「塾や予備校」へ通うようにすれば良い、そういうところと提携してね。
 で、一定の水準、例えば、大学受験レベルになったと認めたら高卒の扱いにする。
 それなら、大丈夫だよ・・・ね。
 何か、話が逆転してしまった・・・。
 日本はまだ「民」のほうがしっかりしているようだ。