110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

平成史(小熊英二編著)

 本書は河出書房新社2012年刊行のもの、刊行時には多分予想もしなかっただろうが、来年平成でなくなるので、本当の平成史が元号の変わった後頻出するのではないだろうか?
 しかし、平成のさなかに平成史を刊行するその意図には多大な敬意を持つのだ。
 ただでさえ、その時、渦中にいるということは、現実が分かにくいものだから、歴史(書)とは、後を振り返るのだものだよね。

 内容は堪能した、しかし、総括すると、平成の日本の体たらくの原因を探るということであった。
 昭和の、戦後の、黄金時代のやり方を、周りの環境が変わったにも関わらず、変えられなかつたことが原因だ。
 じゃ、どうすればよいのか?
 は歴史書の範疇ではない。
 皆で考えよう。

 ちなみに、一番違和感を抱きながら読んだのが「教育」の項目で、多分、普通の人ならば全く「そのとおり」だと言われそうだが、そこにあった「学校と企業が成功しすぎた社会」というフレーズに変な感情を覚えた。

 「じゃあ、成功しなければ良かったのかな?」
 多分、著者は「いや違う、成功しすぎたのがいけないのだ」と答えるのではないか?
 「成功すると成功しすぎるとの違いは何かな?」
 「成功した方法を神格化してしまい、対応が硬直化することだ」

 さて、良く考えてみよう。

 成功するためには何らかの方法があって、その効果があった時期があるはずだよね。
 それが、時代的にそぐわなくなって、逆に足を引っ張るというのが、多分「成功しすぎ」の「しすぎ」の部分だよね。
 などと書きながら「大塚家具」なんて言葉が浮かんできた。
 
 だから、全否定しないで「しすぎ」の部分を抉り取らないと、以前「成功したこと」を見ないことになり、その原因について見落とすことになるのではないかな。

 とにかく、歴史をたどることは、本当に沢山の要素を検討しないといけないのだけれども、その煩雑さに紛れて、あまりにもマクロな視点で裁断することは危険ではないのかな?
 
 私は、詰め込み教育という今では否定されている(と思う)教育制度の中で育ったけれども、違和感はなかったけどね?
 社会の右も左も知らない子供には最初のプログラムは教え込まないといけないと思うけれどね。
 当時は、こんなんで世界屈指の学力なんだみたいな感覚(私には関係ないなみたいな)で、多分、良いも悪いも、問題にしたのはその後の大人たちだと思うよ。
 いわゆる、今までの話の流れでいくと「しすぎ」の部分だね

 で、「しすぎ」たままの文科省なのかな…?

 一件では反証には程遠いけれども、「山びこ学校(無着成恭著」なんて読むと凄いよね。
 終戦直後の混乱期、いわゆる端境期に発生した「異端」だけれども、これも、あの成功の一つの要因ではないのかな。