110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ひめゆりの塔をめぐる人々の手記(仲宗根政義著)

 本書は角川文庫版で読む。

 少し前にも書いたが、平成が来年で改元される、昭和という時代のことも随分と昔語りになってしまような気がする。
 もう忘れたい記録としての「あの戦争」について、やはり忘れてはいけないのではと思いはじめたのがつい最近のことなのが、私的には皮肉なことでもある。
 別に、時代の区切り的に憲法なんか変えてもらってもよいけれども、あの戦争は、未だに影響があるし、忘れることはできないはずだよね。
 例え戦後に生まれて、自分の手は汚していなくとも、国として存続する限りは、軽くは扱えない…はずなんだけれども、どうもわが国はとんちんかんな方へ向かっているようだね。
 まぁ、いいか。

 この本にはこんな一節がある。
 「生きるも死ぬも、ただ偶然であり、僥倖であった。生き残った生徒と死んでいった生徒を比較して、人間のあさはかな知恵で生死の理由を判断することはとうてい不可能である。もし、この偶然、僥倖を運命というならば、すべては運命にさばかれたにすぎない。生きるべき者が生き、死ぬべき者が死んだなどとは、世間的な意味ではどうしても考えれられない。生き残った者にはまだはたすべき使命が残っていると考えるのは、一つの生き方ではあっても、死んだ生徒たちの使命がまったくなくなったとはどうしても考えられないのである。ただ運命という針ほどの細い軸にささえられて生きのびているのである。…」

 あたかも、沖縄戦という特殊な状況を経験した者の感慨に見えるが、その実、今の平和な時代に生きる私たちも、その生死が目前にリアルに迫っているか否かの差があるだけで、まったく同じことなのだと思う。
 20年という短く見える時間なのか、80年、90年という、一見長く見える時間なのか、よくよく考えてみると、たかが、その程度の差なんだね。
 人間ってやつは、よくよく、思い上がりのあるものらしい。

 本書に書かれていることはリアルだ、多少の脚色はあるかもしれないけどね。
 しかし、意図的におどろおどろしく書いた小説の方が(文章としては)身に迫るかもしれないね。
 でも、そのフィクションを書いた人は、本書のいたるところにある「死臭」については、もしかするとわからなくて書いているのかもしれないよね。
 その差を埋めることが、読者の想像力なんだろうけどね。

 沖縄の基地問題も折角だから、こういう歴史を熟読した上でやって欲しいね。
 「私は、沖縄戦の歴史はきちんと研究してきました、でもね、その上で、普天間移設を提唱するんですよ」という確信的な閣僚とかね…そうすれば、責任の所在がはっきりしそうで良いと思うけれどね。