桃の里の歌碑(青梅街道)
「海禅寺総門」の画像を良く見ると、2枚あるでしょう?
そのうちの下の方がこれです。
なんとなくアバウト(失礼)で面白いですね。
(これは、以下解読しなくても読めますね)
「桃の里の歌碑
花を見てかへるといはぬ人はなし
たもとを桃のにしきたちきて 逍遥院内府公
春の日のひかりもそらにみちとせの
名におふ桃のはなの下陰 桑門浄月
立ちよりてあかぬ色香や花のなの
ももたびちたび春あふとも 中原典則
みちとせの春をふくみてこのさとに
花のにしきのをりはて見ゆ 青木維吉
逍遥院内府公とは三条西実隆のことで、室町時代の京都の公家、歌人、歌の学者
桑門浄月は市内谷野真浄寺の住職で和歌、俳諧に長じていた。
中原典則は本姓は根岸といい、和歌、国学等に秀で、江戸時代の青梅文芸興隆期の中心の人
青木維吉については不明
建碑年代、由来とも不明
平成三年三月三十日
青梅市教育委員会」
そのうちの下の方がこれです。
なんとなくアバウト(失礼)で面白いですね。
(これは、以下解読しなくても読めますね)
「桃の里の歌碑
花を見てかへるといはぬ人はなし
たもとを桃のにしきたちきて 逍遥院内府公
春の日のひかりもそらにみちとせの
名におふ桃のはなの下陰 桑門浄月
立ちよりてあかぬ色香や花のなの
ももたびちたび春あふとも 中原典則
みちとせの春をふくみてこのさとに
花のにしきのをりはて見ゆ 青木維吉
逍遥院内府公とは三条西実隆のことで、室町時代の京都の公家、歌人、歌の学者
桑門浄月は市内谷野真浄寺の住職で和歌、俳諧に長じていた。
中原典則は本姓は根岸といい、和歌、国学等に秀で、江戸時代の青梅文芸興隆期の中心の人
青木維吉については不明
建碑年代、由来とも不明
平成三年三月三十日
青梅市教育委員会」