110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

街道の看板

意味は通じるのですが・・・・?

この「書庫」に乗せるのは、久しぶりですね。 8/14、15日と水戸駅~自宅間を歩いたのですが、その時に思わず撮った作品です。 意味は通じるのですけどね・・・・?

三ノ輪橋の駅にあった看板

三ノ輪橋の駅にあった看板です。 懐かしいものもあります、興味があれば見に行ってください。 attached(1,center) attached(2,center) attached(3,center)

五本松の由来

多摩川を歩いているとふと看板があったりする。 たいしたモノではないが「少し」考えさせられる。 「五本松の由来 この松は、江戸から明治、大正にかけて、水防林として植林されたもので、以前から「下堰(したせき)の松」と称され、長く地域の人々に親しま…

八高線列車衝突事故

本日は多摩川の川べりを歩いたのですが、これを見つけてしまいました。 「八高線列車衝突事故 太平洋戦争終戦からわずか九日目の昭和二〇年(1945)八月二四日午前七時四〇分頃、ここ八高線小宮・拝島間の多摩川鉄橋上において、上り下りの旅客列車が正面衝…

旧村山快哉堂

12月30日に埼玉県志木市を歩いていたら見つけました。 「伝統的建造物旧村山快哉(かいさい)堂 旧村山快哉堂は、明治十年(1877)に建設された、木造二階建て土蔵造りの店蔵(みせぐら)で、本町通り(本町三丁目)に面して屋敷を構え。「中風根切薬(ちゅ…

南長崎の90年前

近くにこういう看板(地図)がありました。 地図の年号を見ると、1916年ですから、90年前は、このあたりに「牧場」があったのですね。 いやはや、なんとも時代の流れと言う奴は・・・ ちなみに、現在の「新目白通り」は、かつて「十三間道路」とよばれ、ドイツ…

椿山荘(目白通り)

有名な椿山荘にもありました。画像だけで読めますね。

目白坂(目白通りをちょっと外れる)

目白通りを目白駅から江戸川橋方面へ向かうと「椿山荘」にでます。 その脇を「目白通り」と分かれるように右手に入ると急な坂に出会います。 これが「目白坂」です。 都内の風景は随分変わった事と思いますが、江戸時代など「歴史」は残っているのです。 三…

千登世橋(目白通り)

目白通りは身近にある道ですがなかなか風情があります。 お近くの方はお散歩にも最適な道かと(?)思います。 道路わきに看板(説明表記)たくさんありますので、少しづつ紹介します。 手始めは「千登世橋」 「千登世橋は、昭和7年に橋長28.0m、有効幅員18.…

桃の里の歌碑(青梅街道)

「海禅寺総門」の画像を良く見ると、2枚あるでしょう? そのうちの下の方がこれです。 なんとなくアバウト(失礼)で面白いですね。 (これは、以下解読しなくても読めますね) 「桃の里の歌碑 花を見てかへるといはぬ人はなし たもとを桃のにしきたちきて …

海禅寺総門(青梅街道)

青梅街道の歩き(11月11日)では、数多くの看板を撮る(収穫する)ことができました。 そのため、整理が間に合わないという事になりました。 今回は、海禅寺の総門(外構えの正門、または大門のこと)です。 場所は、青梅線二俣尾駅駅の青梅寄り手前(青梅市…

神代万年橋跡(青梅街道)

これも、青梅街道を歩いていて見つけました。 調べてみると、二俣尾1丁目・日向和田3丁目のあたりのようです。 ただ、この時は先を急いでいたので、下に記された「橋台」は見つけられませんでした。 (残念) 「市指定旧跡 神代万年橋跡 神代万年橋はいつ築…

旧稲葉家住宅(青梅街道)

青梅街道を奥多摩方面へ抜けていきます。 その途中にあったのが「旧稲葉家住宅」です。 看板は少しやつれていますが解読できました。 デジカメは高精度ですのでこういう時には「画像拡大」ができるので良いですね。 「東京都指定有形民俗文化財 旧稲葉家住宅…

旧吉野家住宅(青梅街道)

瑞穂町から青梅市街に向かって歩くと目に入りました。 青梅街道は青梅から先(奥多摩方面)は風情がありますね。 「東京都指定有形文化財(建造物) 旧吉野家住宅 所在地 青梅市新町三八三(現青梅市新町1-21) 指定 昭和51年6月4日 吉野家の始祖は織部之助…

大井宿・本陣(川越街道)

川越街道を歩いている時に見つけました。 この中にある「道心」の意味が不明です。もしかすると「同心(警察官)」でしょうか? 大井宿(おおいじゅく)と本陣(ほんじん) 大井宿は、川越街道の六宿場(大井・大和田・膝折・白子・下練馬・上板橋のうちのひ…

富士街道

新青梅街道を、新宿から青梅方面へ進むと、現在は西東京市保谷で「富士街道」と交差する。丁度その辺りが「富士町」なので、これが名前の由来だと思ったらそうではなかった。 「ふじ大山道 ふじ大山道は道者街道、富士街道ともよばれています。それは阿夫利…

川越街道

川越街道の三芳町にあった「川越街道」の解説板です(一部市制が変わった所を直しました)。 「川越街道は、長禄元年(1547)上杉持豊が川越城と千代田城(江戸城)を築いた際、古河公方に対する防御道とするため以前からあった古道をつなぎあわせたのが起源…