茶の本(岡倉覚三著)
「The Book of Tea」として英文で書かれた著作の「翻訳本」を読ませていただく(岩波文庫版)
原本は1906年に出版されている。
当時としては、当たり前であったであろう日本文化を西洋に紹介するための小冊子が、私にとっては、(昔の)日本の文化を知るための絶好のガイドブックになった。
茶道から始まり、その根底にある道教や禅の考え方を説明する。
その中でチェックしたのは、
「・・・しかし、茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」
「・・・わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。・・・」
本来或る表現の裏には「思想」がある。
岡倉覚三と言う人が秀逸だと思うのは「道教や禅」を柱に据えた上で、当時の西洋と東洋を対比している事。
そして、視点を変えると、現在の(随分と)西洋化した日本と比較する事ができること。
日本と言う国の変化には驚くばかり・・・いや、まだ当時の文化は残っているのか?
小冊子なので、折に触れて、また読んでみたい本だ。
原本は1906年に出版されている。
当時としては、当たり前であったであろう日本文化を西洋に紹介するための小冊子が、私にとっては、(昔の)日本の文化を知るための絶好のガイドブックになった。
茶道から始まり、その根底にある道教や禅の考え方を説明する。
その中でチェックしたのは、
「・・・しかし、茶道にはほとんど注意がひかれていない。この道はわが生の術を多く説いているものであるが。もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとするならば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう。」
「・・・わが国の古典的屋内装飾はその配合が全く均斉を保っていた。しかしながら道教や禅の「完全」という概念は別のものであった。彼らの哲学の動的な性質は完全そのものよりも、完全を求むる手続きに重きをおいた。・・・」
本来或る表現の裏には「思想」がある。
岡倉覚三と言う人が秀逸だと思うのは「道教や禅」を柱に据えた上で、当時の西洋と東洋を対比している事。
そして、視点を変えると、現在の(随分と)西洋化した日本と比較する事ができること。
日本と言う国の変化には驚くばかり・・・いや、まだ当時の文化は残っているのか?
小冊子なので、折に触れて、また読んでみたい本だ。