現代の批判(キルケゴール著)
「現代の」といってもこの本が刊行されたのは1846年で今から一世紀以上も前の作品だ。
しかし、以前オルテガの「大衆の逆襲」を読んだ時と同じように、現代にも通じるものがある。
岩波文庫版の帯にはこの様な文が書かれている。
「現代は情熱を失った時代であり、人々は分別をふりまわすだけで、決して自ら行動に出ようとはしない。-さながら20世紀の現代を予言したともいえる書。読者は読み進むにつれ、その批判の生々しさに、まるでつい昨日書かれた著作のようだ、と嘆声をあげずにいられないだろう。」
まさに、そのとおりです(一言もありません)。
さて、気になったのは、この岩波文庫版では、対で収録されている「天才と使徒の相違について」のこの文章だ。
「父が秀れた頭脳を持っているから父を敬うと言うのは親不孝である」
「・・・この息子は、父が物わかりがよく才気豊かであるから服従しようと思っている、しかしまさにしれゆえに彼は父に服従することができないのである。なぜなら、命令がものわかりよいものか才気豊かなものかどうかにかかわる彼の批判的な態度が、服従を根底からくつがえすからである。・・・」
これらの文は、個人的には「どきり」とした、現代の親子関係はもしかするとこうでないのか・・・と、
キルケゴールは敬虔なキリスト教徒であり、そういう宗教観は或る意味「偏見」を生み出すものだが、それを差し引いても鋭い視点だと思う。
しかし、以前オルテガの「大衆の逆襲」を読んだ時と同じように、現代にも通じるものがある。
岩波文庫版の帯にはこの様な文が書かれている。
「現代は情熱を失った時代であり、人々は分別をふりまわすだけで、決して自ら行動に出ようとはしない。-さながら20世紀の現代を予言したともいえる書。読者は読み進むにつれ、その批判の生々しさに、まるでつい昨日書かれた著作のようだ、と嘆声をあげずにいられないだろう。」
まさに、そのとおりです(一言もありません)。
さて、気になったのは、この岩波文庫版では、対で収録されている「天才と使徒の相違について」のこの文章だ。
「父が秀れた頭脳を持っているから父を敬うと言うのは親不孝である」
「・・・この息子は、父が物わかりがよく才気豊かであるから服従しようと思っている、しかしまさにしれゆえに彼は父に服従することができないのである。なぜなら、命令がものわかりよいものか才気豊かなものかどうかにかかわる彼の批判的な態度が、服従を根底からくつがえすからである。・・・」
これらの文は、個人的には「どきり」とした、現代の親子関係はもしかするとこうでないのか・・・と、
キルケゴールは敬虔なキリスト教徒であり、そういう宗教観は或る意味「偏見」を生み出すものだが、それを差し引いても鋭い視点だと思う。