スピノザの世界(上野修著)
本日、歩き読みしたのがこの本。
デカルト→スピノザのイメージなのでもっと宗教寄りかと思ったが全然違った。
私たちは神の一部である、もう少し雑に言うと、世の中のもの全てに神が宿る。
「汎神論」というのだそうです。
また、全ての事件は全て用意されている。
今日の夕食がカレーなのも、山手線一周歩くのも、自分では自由だと思っても(神のシステムの)「想定内」なのだ(「予想外」は無いのだ)。
ただし、「神様はお見通し」ではない。
自分のシステムを整然と維持しているだけなのだ。
だから、その中では、自分が自由に感じる方法で生きるのが一番良いのだ。
という様な論点であったと思う。
なんか、ご近所さんもなにも皆「神様」だと思うと、混乱するが、日本人が持つ(持っていた?)「八百万の神」とも符合する。
ただ、それをユークリッドの「原論」の様に証明されるのはいやかもしれないけれど。
「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)というのを、以前読んだことがあるが、確かに違いはあるが、このスピノザの考えとも似ている部分があった(全ての人は神とつながっている・・・だった)と思う。
また、
ショウペンハウエル→ニーチェ
スピノザ→ニーチェ
という影響があるらしい、さて、ニーチェとは如何なる人か?
デカルト→スピノザのイメージなのでもっと宗教寄りかと思ったが全然違った。
私たちは神の一部である、もう少し雑に言うと、世の中のもの全てに神が宿る。
「汎神論」というのだそうです。
また、全ての事件は全て用意されている。
今日の夕食がカレーなのも、山手線一周歩くのも、自分では自由だと思っても(神のシステムの)「想定内」なのだ(「予想外」は無いのだ)。
ただし、「神様はお見通し」ではない。
自分のシステムを整然と維持しているだけなのだ。
だから、その中では、自分が自由に感じる方法で生きるのが一番良いのだ。
という様な論点であったと思う。
なんか、ご近所さんもなにも皆「神様」だと思うと、混乱するが、日本人が持つ(持っていた?)「八百万の神」とも符合する。
ただ、それをユークリッドの「原論」の様に証明されるのはいやかもしれないけれど。
「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ著)というのを、以前読んだことがあるが、確かに違いはあるが、このスピノザの考えとも似ている部分があった(全ての人は神とつながっている・・・だった)と思う。
また、
ショウペンハウエル→ニーチェ
スピノザ→ニーチェ
という影響があるらしい、さて、ニーチェとは如何なる人か?