プリズメン(アドルノ著)
最近「気負って」買った本が積みあがってきたので、一生懸命読もうとしている。
しかし「気負って」買った本は、なかなか読み進まない。
本書もその類いのひとつだ。
1955年に刊行されたエッセイで、時代感覚的には、20世紀初頭から戦後にかけての状況がうかがえる。
図らずも、モダニズムやファシズムという時代に関する危機感が見え隠れする。
それは、図らずも現在にまで継承されている様にも思われる。
ただし、本書でもその様な「危機的な状況」を批判する事に対して、理想論で対応できるのか、安直に「過去に戻れば良い」的な考え方は現実的に実現可能なのかと鋭く切れ込んでくるところがある。
まさに、そのとおりなのだ。
ところが、そういう現実面と複雑性を根拠として、先延ばしにしてくると、その体質は「実体」を伴ってくる。
すなわち「常識化」されるのだ、
ここで著された「資本主義」に対する批判は、もう過去のものなのであろうか?
本書では、既に数十年も前の著作が様々な形式で批判されている。
その中では、当時よりも現在に投影した方が良いような考え方もあるように思えた。
しかし「気負って」買った本は、なかなか読み進まない。
本書もその類いのひとつだ。
1955年に刊行されたエッセイで、時代感覚的には、20世紀初頭から戦後にかけての状況がうかがえる。
図らずも、モダニズムやファシズムという時代に関する危機感が見え隠れする。
それは、図らずも現在にまで継承されている様にも思われる。
ただし、本書でもその様な「危機的な状況」を批判する事に対して、理想論で対応できるのか、安直に「過去に戻れば良い」的な考え方は現実的に実現可能なのかと鋭く切れ込んでくるところがある。
まさに、そのとおりなのだ。
ところが、そういう現実面と複雑性を根拠として、先延ばしにしてくると、その体質は「実体」を伴ってくる。
すなわち「常識化」されるのだ、
ここで著された「資本主義」に対する批判は、もう過去のものなのであろうか?
本書では、既に数十年も前の著作が様々な形式で批判されている。
その中では、当時よりも現在に投影した方が良いような考え方もあるように思えた。