車が衝突し炎上 1人死亡 伊勢崎の県道 過失致死容疑で運転の少年逮捕 群馬県警伊勢崎署
さて、この表題だけだと事件の内容はわかりずらいと思うのだが、19歳の少年が直進運転していた道路に、横の道から車が割り込んできた形となったらしい、しかし、少年の車の速度が速かったのか、追突する形になり、相手側の車がその衝撃で炎上し運転手が死亡したというものだ。
私はYahooでこのニュースを見た、そして、コメントを見ると、意外と「直進が優先だから逮捕は不当」というようなコメントが「多い」、多分、このY!ニュースにコメントする人たちはそういう解釈をする人が多いのだろう、未だに、かの池袋での暴走事件を引き合いに出して「一部の特権的高齢者は逮捕されないのは不公平だ」との意見すらある。
このところ凄く危惧しているのは、日本人が(母国語といわれる)日本語の解釈が一般にできないのかもしれないということ。
まず「過失」とは、「 不注意・怠慢などのためにおかした失敗。法的には、一定の事実を認識することができるにもかかわらず、注意を怠ったためにその事実を認識しないこと。不注意の程度によって重過失と軽過失とに分けられる。 」(三省堂大辞林第三版より抜粋)
とある。
「致死」はわかるよね?「死に至らしめたこと」だよね。
「容疑」は「疑わしい事」。
だから、「この少年が相手を死に至らしめた可能性が高いので、逮捕して事情を確認した」というのが表題の話。
車の優先については、実は潜在的な要素として関係があるのだが、この表題(過失致死)にはないはずだけれどもね。
何か、コメントをする人の中には、感情的になってしまい冷静に読めなくなる人がいるようだ、一応、日本は識字率は100%にちかいはずだけれどね(読解力は出ていない)。
以下、話は違う視点になるが・・・
日本人で感情に左右される人は、その個別の事件を指して、量刑が多いとか少ないとかを判断するのだが、そもそも、法律という基準がなければ、基本的に人は裁けない。
だから、先の、あおり運転の上、相手の運転手を殴った件も、多分、暴行障害の罪である。
しかし、あの画像を公開された事で、犯人(宮崎氏)は量刑以上の不利益を被るだろうことは間違いないのではないか?
もしかすると、そちら(社会的制裁)の方が本当に怖い事なのではないだろうか?
そして、そういう国民感情が多数を占めてくると非常に危険だなとも思う。