110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

避難勧告に関するガイドライン

内閣府のホームページなんて見ないと思っていたのだが、最近の災害時の報道で気になる言葉があったので追いかけて見るとここに行き当たった。

それは「自らの命は自らで守る」という言葉で、こいつは、民間での発言なら許せるが、国が発したらまずいのではないか、と思い、最初に気になった気象庁のホームページを探した。

気象庁の「防災情報」のページを見てみると、各種の情報、例えば「大雨洪水警報」という項目があり、それに付随する「とるべき行動」の簡単な記載とともに「警戒レベル」が設定されている。

さらに、その「警戒レベル」については「内閣府のホームページ」を参照しろとありリンクが張ってあるのでそれに倣った。

そこには「避難勧告に関するガイドラインの改定」というのがあり、平成31年3月29日になされている。

この文章中に「特に以下の点について内容の追加・充実を図った」とありその最初の項目に「1.「自らの命は自らが守る」意識の徹底や災害リスクと住民のとるべき避難行動の理解促進」とあった。

国民としては、これをどう考えるかだよね。

細かいことを言えば「自らの命は自らが守る」ことの”意識”の徹底だから国(内閣)は別に災害リスクに対する責任を薄めさせているわけではないという解釈もできるし、敢えてかぎかっこでくくったのは「自らの命は自らが守る」んだよ、自己責任だよということを言いたいのかという(国の)解釈上の転換を意味しているのか、が気になるところだ。

今日も関東地方は大雨で特に千葉県では危機感が高まっているようだが、ここ数年の各地での天然災害はかなり深刻で、毎年の様に想定外の状況で被害を重ねているところに、やはり国の財政的な負担が限界にきている事実を(当然政府や官庁では認めたがらないだろうから)吐露したものなのかな・・・なんて思ってしまう(先の年金不足額2000万円問題とかね)。

だから、この突然耳にする「自らの命は自らが守る」という言葉、確かに実践的なのだが、それを、非常に公共性が高いNHKのニュースや気象庁の会見などで連呼する状態に、ある種の違和感を感じたのだ。

また、これはとある記事で指摘されていたのだが、そもそも、警戒レベルどうりにその地域の大多数が非難したら収容できるのかという問題がある(少しニュアンスは違うが台東区の例があったね、良く考えるとその地域の避難場所の収容数を越えた時に起こりえること)。

重ねて、その記事では、多数の避難者が車を利用して避難所を目指したがために渋滞したために一網打尽に被害にあったらどうするのか、そして、本来ならば、その自治体ではもっと詳細に状況分析をして、例えば1万人の住民なら、そのうちの災害に最も弱い1000人をまず非難させるなどの、いわゆる、非常に大雑把な(内閣府だから仕方ないかな?)今回のようなガイドラインを補完するような対応をすれば良いのはないかという提言もあり、私は、この記事を支持したい(さっき探したけれども見当たらないなかった残念)。

少し前に上げた記事に、SNSなど発達したから情報が速い、なんてことを書いたけれども、今回のガイドラインの様に、本来現在の技術を駆使すれば、もう少し細かく対応できる可能性があるのに、それを怠けて、あたかも、災害時は「自己責任」で、国には「免罪符」のような印象を与えるという状況、これを「国の老化」と言われてもしょうが無いと思うけどね。