「悪」も許さない社会
菅原氏疑惑「さすがにアウト」経産省でも話題に
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191025-00000035-asahi-pol
まぁ、これはコメントの為の「ひき」なのだが、最近「悪」を許さないという風潮が気になった。
題名を「悪」と「(かぎかっこ)を付けたのは、いわゆる普通の意味での(確定された)悪いではなく、悪いという烙印を押すという意味だ、すなわち、本当に悪いのか未定だがとりあえず悪いと見なすことだ。
ただし、今回の菅原議員は本当に悪かったようだね。
脱線すると、政治家でのし上がることの代償とはそういうことなのかな・・・なんて思ってしまった。
その「悪」いことに対する日本国内の感度が異常に高いような気がするのだ、SNSなどが発達して情報共有が進んだことにもよるのだろうが、確報が無い状況でも、今回話題にしている「悪」という状況、「悪」と言う烙印を間違った人に押しつけて糾弾しはじめる場合があるように思うのだ。
昔は情報の伝達能力が低く、それがバッファになっていたのかもしれない、しかし、それでもその判断が、不寛容で、ほとんど糾弾すること以外何も考えていないのではないかと思ってしまうことがある。
そして何よりも、その情報が確かなのか調べよう(ベリファイ)ともしない人が多数表面化してきていることが問題だ。
これは、怖い社会だね、たとえ最後には冤罪となっても、本来何もしていない人を「悪」と認定すれば多大な被害を与えてしまう可能性は大きいはずだ。
しかも、現在ではその糾弾した、いわゆる毀損した側が匿名性の陰に隠れてしまう、いや、そういうことをしたことさえ(当人は)時間が経てば忘れてしまうという、本当の悪が免罪されてしまうことが問題なのではないだろうか?
ただし、その悪さえひっくり返す「権力」というものがこの世の中にはある。