戦争広告代理店(高木徹著)
本書は講談社から2002年に刊行された、私は2005年初版の講談社文庫版で読む。
本書はベストセラーだ、既に読まれた方も多い事だろう、それを今頃になって読んでいるのは、表題の「108円の知性」に伺うことができる、古本を読むという行為によるものだ。
本書は読んでいて気持ちの悪くなるものだ、別に、文章が悪いという事ではない、あのボスニア紛争、そして、NATOの空爆など他人事と片づけていれば、何も拘ることはないのだが、ひとたび、あれはどういう事件だったのかと、関連する本などを読んでみると、何故小国間の紛争のためにNATOが空爆しなければならなかったのか、という疑問への的確な回答はないことに気づく。
そして、本書では、セルビアが完全な悪玉に祭り上げられるその工程がとあるPR会社の戦術として描かれていく。
いわゆる勧善懲悪の悪玉と認定されれば、話は早い、水戸黄門が出てきて、悪代官をぶった切ろうが何しようが世間(世論)が許す。
いや、そんな単純なものではないはず、と思った方は本書を読んでみると良い。
悪玉とレッテルを張られたセルビア、そしてアフガニスタンの運命は、調べればわかるはず、しかし、本当に彼らは悪玉だったのだろうか。
丁度その時期に、渦中にあった人として、ストイコビッチというサッカー選手が日本に来ていた、彼についての本もあるので読んでみると良い、別の見方ができる。
だから、セルビアがすべて悪かったわけではない(事故を起こしても過失の割合ってあるでしょう?)、ボスニアにも非はあるのだ、あなたは、セルビアが10人殺したがボスニアも7人殺している、だから、セルビアの方が殺した数が多いので「悪」だと言われて納得するだろうか?
それが、実現してしまったのだ。
まぁ、だからアメリカという国は悪いという単純な結論にはしたくないのだが、小さな国の紛争を、大きな国や組織(国連)が介入するという事は、そこに理不尽なことが起こりえる可能性があるということだ。
アメリカに引っ掛けて話をすれば、かのベトナム戦争も、そしてイラク戦争も、終わってみるとどこに正義があったのかは不明だ、逆に、その時々の政治的な意向で始まってしまったと言ってもそれほど間違いでもあるまい、それが、長引いて泥沼化したのはそういう正義が不在であったからなのかもしれない。
だから、今また、イランが取りざたされていることに、いやな感じを覚えているのだ。
そして、当面、日本はアメリカの意向に対しては恭順するはずだ。
だから、繰り返しになるが、現在のイランや韓国とのいさかいについて、引っかかる人は、読んでみてはいかがかと思う。
人間は神ではないことは20世紀には当たり前になったのに、未だ、究極の正義があるように振舞う「国家」というやつは、どうにかならないものだろうか?
まぁ、国家は「人間」ではないのだが・・・