110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ひゃくじゅうさん(113)

「72+41=10013」は正解?学校教育が子供の個性と多様性を奪っている

https://news.yahoo.co.jp/articles/c6908358083d834bd0387453659bcc80d1bed60c

面白い記事です、この回答を出した子は「ひゃくじゅうさん」という読み方をそのまま解答欄に書いたということです。

ですから、この子はこの問題をきちんと理解しています、問題は表記の仕方だけなのです。

今は、数字の書き方(数学表記)にある程度のルールがあるので、それを指して、「やはり間違っている」という指摘もコメントにはありました。

でも、ご存知の様に、有名なところでは、微分記号などが、ニュートンライプニッツで異なったり、アラビア数字が出るまでは、ローマ式数字の様な表記も当たり前に利用されていました、そうそう、ゼロが出るまでは計算がややっこしかったですよね。

また「負の数学(アルベルト.A.マルティネス著 青土社)」という本の中で示される様に「-1×-1=-1」という、数学の世界を作っても矛盾しない体系が作れるという、自由度ということを考えてしまうと、上の答え(10013)が間違いであると「決めつけてしまう」のはどうかなとは思います。

ただし、現在の学校のように、集合教育であり、教育要綱が決められている中で、上記のような子がきちんと理解していると見抜くほど、先生方に余裕がないかもしれませんね。

また、この(10013)程度なら私たちも少し考えると理解できますが、いきなり、計算結果は正しいとしても「さんおくきゅうせんひゃくよんじゅうごまんにせんよんひゃくごじゅうろく(391,452,456)」を上記の方式の数字に置き換えられたら(300000000 90000000・・・)、意識が飛びそうです。

さて、まずは数学については、自由度があるじゃない、ラマヌジャンなんて天才もいるしと思ったのですが、他の科目、例えば国語(日本語)なんかも自由度有ることに気づきました。

良い例は思いつかなかったのですが、例えば「ほしいまま(心のまますること・・・)」に当てられた漢字が「恣、擅、肆、縦、放肆、放縦、壇、奔放、放、横」などあるようですが、これらは、出現度順に並んでいるのですが、じっと眺めていると、どうも漢字の持つ意味に「ほしいまま」という言葉を結構自由に結び付けているように思えてきます。

でも、(学校)教育上は今は、最初の「恣」を正解にして、他は、間違いだという考え方があるのではないでしょうか?

昔は、日本語自体をもっと自由に使っていたのですね。

夏目漱石の小説を読んでも、今とは違う言葉使いがでてきます、当て字も多いようです、でも、なんとなく分かるし、味があるのですよね。

時代の流れと言えばその通りですが、日本語の表現力と言う意味では退化しているのかもしれません、そうそう、文字に頼らなくとも今なら音や画像も使えますしね。

教育という面で見れば、ある種の枠の中に収めても良いでしょう、しかし、学問として考えれば、その枠から外れていくということも必要なのでしょうし、枠から外れることで新しい発見をすることになるのではないでしょうか?