110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

「Eテレ売却論」の記事を読んでみた

読んでみた感想を最後に追記しよう、嫌になる方もいるかもしれない。

NHKの理不尽を食い止める「Eテレ売却論」が、袋叩きにされる本末転倒
12/10(木) 6:01配信 ダイヤモンド・オンライン

● 高橋内閣官房参与の 「Eテレ売却論」が集中砲火のなぜ
 先週、内閣官房参与高橋洋一嘉悦大学教授が週刊誌のインタビューなどで唱えた「Eテレ売却論」が、マスコミから叩かれた。
 たとえば12月3日の『朝日新聞』では、NHK前田晃伸会長の「教育テレビはNHKらしさの1つの象徴だと思う。それを資産売却すればいいという話には全くならないと思う」という言葉を引用しつつ、嬉しそうに批判の声をかき集めた。
 《SNS上では「Eテレが最も公共放送として能力を発揮している」「子育てで何度も助けられたから(売却論は)信じられない」などとの声が相次いでいる》(同上)
 もちろん、そういう声が存在するのは事実で、SNSでは「#Eテレのために受信料を払っている」「#Eテレ売却に反対します」というハッシュタグがつくられ、「民営化されたらいい番組が見られなくなる」などと、この案への不平不満が次々とつぶやかれている。
 筆者もEテレは好きなので、そのような方たちのお気持ちはよくわかる。が、その一方でちょっと気の毒な気もしている。「Eテレ愛」を利用され、まんまとマスコミに踊らされてしまっているからだ。
 高橋氏本人が、「『Eテレ売却論』を『番組全廃止』とすり替える、マスコミの『常套手段』」(現代ビジネス12月7日)で解説をしているように、今回注目されている「Eテレ売却」とは、あくまで周波数帯の売却であり、番組制作機能やコンテンツをどこかに売っぱらってしまえ、という話ではない。
 NHKは2つの地上波を持っているので、そのうちの1つを明け渡すことで、経営がスリム化して受信料も下がる。良質なEテレのコンテンツは、スマホやネットで視聴できるようになるので、むしろNHKEテレばかり見るというファンにとってはメリットも多い話なのだ。
 「ネットなんて冗談じゃない!テレビはちゃんとテレビで見させろ!」と怒る人もいるかもしれないが、今の地デジテレビはだいたいネットに繋がっている。電波を売っても、テレビでEテレを楽しむ方法はいくらでもあるのだ。

● 国民を振り回す「扇情報道」 NHKを改革しなかったらどうなるか
 ただ、前述の『朝日新聞』をはじめ、マスコミの多くはそういう細かな説明は一切しない。週刊誌でのインタビューや、ネットメディアの記事をベースにした話であるにもかかわらず、そこで語られることは無視して、「内閣参与がEテレ売却を提案」とおいしいところだけ切り取って大騒ぎしている。
 「Eテレがなくなるなんてとんでもない」とSNSで不安に襲われている方たちは、そんなマスコミの「扇情型報道」に振り回されている被害者というわけだ。
 年間1000万人の感染者が出て、昨年も3575人が亡くなったインフルエンザでは絶対にやらない、「感染者数の積み上げグラフ」を嬉しそうに引っ張り出して、「コロナ感染者数が過去最多!」「もう医療崩壊寸前です!」と朝から晩まで大騒ぎをして、人々の不安を煽り、「コロナうつ」や自殺者を増やしている構造とまったく同じだ。
 「わかったようなことを言うな!マスコミの皆さんは我々国民の不安に応えてくれているのだ!」というお叱りの声が飛んできそうだが、残念ながらマスコミのやっていることを客観的に眺めていると、不安を煽ることで現実から人々の目を背けて、やらなくてはいけない変化を潰しているようにしか見えない。
 高橋氏の「Eテレ売却」というアイディアの是非はさておき、これくらいの改革をしなければ、待っているのは恐ろしい未来だ。
 ご存じの方も多いかもしれないが、実はNHK総務省有識者会議で、家庭や会社などに対して、テレビを設置しているかどうかをNHKに届け出ることを義務化するよう要望している。さらに、契約していない人の氏名を、ガスや電力の事業者に照会できるようにする制度の導入も求めた。
 つまりNHKとしては、受信料というものをテレビ所有者は決して逃げられない「テレビ税」というくらいの位置付けにしていこうとしているのだ。
 「まあ、公共放送だもん、電気やガスと同じようなもんだからしょうがないよね」とEテレをこよなく愛する人たちは思うかもしれない。が、一部の方たちからすれば、こんな不条理な話はない。
 世の中には「この1週間、NHKはもちろん、テレビなんか5分も見なかった」という人が山ほどいるからだ。
 NHK放送文化研究所は毎年6月に、無作為抽出した全国3600人に対して、全国個人視聴率調査を実施している。その年齢ごとの分布を分析した「メディア多様化時代の20代とテレビ」によれば、2019年に1週間のうち5分以上リアルタイムでテレビを視聴した20代は、73%だった。
 つまり裏を返せば、1週間に5分もリアルタイムでテレビを見ない20代が3割もいるということなのだ。
 「それは仕事やバイトで録画して見ているのだ」という人もいるかもしれないが、このような傾向が20代で顕著に現れてきたのは、ここ10年ほどである。明らかに若者が、テレビのコンテンツからそっぽを向き始めているのだ。

● 「みなさまのHHK」が 世代間不公平の温床に
 そんな若者のテレビ離れが特に著しいのが、他でもない「みなさまのNHK」だ。同研究所の「テレビ・ラジオ視聴の現況」の最新版には、NHK総合で「最もよく見られている番組」として、連続テレビ小説『スカーレット』の平均視聴率を男女年齢別に分析したものが掲載されているが、70~60代の男女が29~16%と高い割合を見せる中で、20代の女性は5%、20代の男性にいたっては1%しか見てないのが現実だ。
 筆者が何を言わんとしているか、おわかりだろうか。このような「高齢者さまのNHK」が、これからの日本でテレビを持つ者に対して、電気やガスと同じく問答無用で受信料を取り立てていこうとしているのだ。そして、受信料を下げるつもりは毛頭ない。むしろ、これからの日本は急速に人口減少が進行するので、値上げがなされていく可能性の方が高い。
 つまり、今のNHKを何も変えなければ、高齢者や子育て世帯、そして一部の教養番組を楽しみにしている人たちのため、ほとんどテレビなど見ない人たちが重い負担を強いられていくことになるのだ。
 こういう不平等さを解消するため、高橋氏が言うような「改革」が必要なのである。NHK従業員の平均年収は1000万円オーバーだが、他の放送局もそんなものだということと、「優秀なエリートを集めないと放送の質が低下する」という大義名分があるので、絶対にここは死守するだろう。
 番組制作についても、良質なコンテンツをつくるという使命があるので、民放では考えられないほど湯水のように金を使う。そうなると、そのシワ寄せはどこにいくのかというと、われわれ国民だ。「みなさま」の財布の紐を緩めてもらうしかないというわけだ。
 国民の負担を減らしつつ、公共放送としての機能も維持するということならば、「現状維持」ではなく、何かを変えなくてはいけない。それが高橋氏私案では「Eテレの電波」だったというわけである。
 そういう背景も説明せずに、「内閣参与がEテレ売却をぶち上げた!」と騒ぐのは、報道を名乗る者としてあまりにフェアではない。それどころか、「悪意」すら感じてしまう。

● 「公平・中立」のはずのマスコミが なぜ偏った報道をしてしまうか
 では、なぜ「公平・中立」を念仏のように唱えるマスコミが、こういうゴリゴリに偏った報道をしてしまうのか。いろいろなご意見があるだろうが、筆者の感覚では、マスコミの皆さんが無意識に「現状維持」を求めてしまう癖があるからではないかと思っている。
 政治家や企業に対して「変われ!改革だ!」と偉そうに指図をするが、実はマスコミほど「変化」を嫌う世界はない。
 わかりやすい年功序列の男社会で、情報源や人脈という極めて属人的なスキルが重宝される世界なので、デジタルトランスフォーメーションなどというものとは最も縁遠い。しかも組織のトップたちは、ビジネスの経験がない「元記者」なども多いので、現状のシステムやインフラを維持することとリストラくらいしかできない。
 新聞が売れない、若者のテレビ離れが進んでいるという危機感があっても、大胆な組織改革や、新しい業態への転換に踏み切れない。つまり、自分たちの骨の髄まで「現状維持」が染み付いているので、高橋氏のような大胆な改革を言い出す人間を反射的に「異分子」と見なして袋叩きにしてしまうのだ。
 「ずいぶん厳しい言い方じゃないか」と思うかもしれないが、べつにこれは筆者がそう思い込んでいるわけではなく、同年代のマスコミの友人たちと飲むたびに、彼らから同じような「グチ」を聞かされている。

● 自社の女性記者が過労死した 事件をなぜ公表しなかったか
 もちろん、マスコミが「変化」を嫌い、過去の制度にしがみついている例はいくらでもある。わかりやすいのが、NHKの女性記者が過労死をしていた事件だ。
 2013年7月、NHK記者として都庁などを担当していた女性(当時31歳)が、159時間にものぼる時間外労働を強いられた果てに、うっ血性心不全で亡くなっていたのである。
 労災認定を受けた14年5月以降も、「過労死」の事実を17年秋まで伏せていたNHKは、当初「遺族側の要望で公表を控えていた」と説明したが、女性のお父上は「事実ではない」と否定している。要するに、嘘をついてでもこの話を公にしたくなかったのだ。
 女性記者が亡くなる少し前の13年5月、Eテレの「ハートネットTV」では、「ブラック企業に立ち向かえ」という番組を放送していた。Eテレらしい素晴らしい内容だが、そんなご立派な呼びかけをしていた裏で自社の女性記者が過重労働で命を落とし、それを隠していたというわけだ。
 言うまでもないが、過重労働はEテレでも扱うほどの社会問題だ。そして、何よりもNHKは「みなさまの」というくらい公共性のある組織なので、そこで働く女性がこのような形で亡くなったことを、社会へしっかりと伝える責任がある。
 しかし、今日に至るまで『NHKスペシャル』や『クローズアップ現代』でこの女性記者の死を検証した番組はない。『プロフェッショナル 仕事の流儀』に登場した弁護士の方がこの件に触れたことが放送された程度だ。
 では、なぜ「みなさまのNHK」はこの過労死を頑なに隠すのかというと、これがただの過重労働だけではなく、マスコミが長きにわたって「現状維持」に努めてきた「記者クラブ」という世界的にも珍しい情報統制システムによる弊害だからだ。
 昭和のマスコミのビジネスモデルは、記者クラブで成り立っていたといってもいい。この中に入れば等しく正確な情報が、政府や公的機関から得られるので、情報にバラつきはない。しかし、一方でどうしてもネタが横並びなので、各社違いを出さなくてはいけない。それが、クラブ記者の「夜討ち朝駆け」だ。官僚の自宅に足繁く通って、酒を酌み交わしたり麻雀卓を囲んだりして懇意になり、自社だけの「特ダネ」をいただくということで競争をしてきた。
 この閉ざされた「ムラ」のお陰で、マスコミは安心して企業努力に打ち込むことができたわけだが、そのムラの平和を乱す者が現れる。ネットやSNSだ。
 総理大臣も大統領もSNSでつぶやいて、それがニュースになる。記者クラブで触れ回っていることなどは、ネットですぐに入手できる。夜討ち朝駆けなどをして得た特ダネも、すぐに消費されてしまう。ネットやSNSで誰もが自分で情報発信・情報収集できることで、記者クラブという情報のボトルネックを握っている旨味がなくなってしまったのである。
 これまで、官僚と懇意にしていればネタが取れたクラブ記者の仕事量は爆発的に増えた。つまり、時代の変化に逆らって、記者クラブという昭和のシステムを現状維持するという無理なことをやっているので、そのシワ寄せで労働環境が急速にブラック化してしまったのだ。事実、この女性記者を死に追いやったのは、家にほとんど帰る暇もないくらいに行われたという「夜討ち朝駆け」だったという。
 こういう都合の悪い話が検証されると、記者クラブという時代遅れの制度にメスが入って、権力とマスコミの関係も時代に合わせて変えなくてはいけない。そうなると、困るマスコミ人がたくさん出てくる。だからNHKは、女性記者の死の真相をいまだにしっかりと国民に伝えることができないのではないか。もしそうなら、公共放送が聞いて呆れる。

● 時代の変化を無視した「現状維持」が 結局、国民自身の首を絞める
 いろいろ言わせていただいたが、NHKには私の親しい友人も務めているし、Eテレの番組も私は大好きである。ぜひこのまま変わることなく、いつまでも今のNHKであってほしいという気持ちもある。
 しかし、そのような時代の変化を無視した「現状維持」を貫くと、どこかにそのシワ寄せがいく。この亡くなった女性記者のように、弱い立場の人が犠牲になるのだ。
 「Eテレが好きだから、今のまま続けてほしい」という意見はよくわかるが、マスコミに煽られて「現状維持」を望むのは、実はわれわれ国民が、自分自身の首を絞めることになるかもしれないのだ。
 (ノンフィクションライター 窪田順生)

不要なものはきちんと整理しよう、無駄なものは省いていこう、という理屈のようだ。

私は、コロナ禍にあって、飲食、旅行は、究極的には、不要不急だと書き続けた。

日本の経済はそういう不要不急で成立している(たぶん、先進国とはそういうものなのだろう)。

何故なら、経済的に追い込まれて自殺した人はいるようだが、飲食店が営業自粛したり、旅行ができないことで、直接的に死者が出た(飲食店が開いていないので餓死した)ことは聞いたことがない。

だから、国や自治体は、補償のことなど考えずに、緊急事態宣言をして営業を休止させればよい。

不要不急でお金を稼いでいた人たちには、その責任を自分で負ってもらえばよい。

という詭弁をさせてもらっても良いのだろうか?