幻想の未来(岸田秀著)
本作は1984年に刊行されている。
人間は本能が破壊されているとした上で、その身体としての均衡を保つために、自我を創り出す。
しかし、その自我は、自己矛盾するものであり、なおかつ、不変の土台、基点とはならないため、人間を常に不安定なものとしてしまう。
近代以前は、神のような超越したものを対象にして、自我の拠り所が存在したが、それ以降は、神や宗教の不在により、また、個人主義の勃興により、それぞれの個々人が、自我の拠り所を探さねばならなくなった。
これらの不安定な自我により表出した現象が、欲望による行為であり、現代は、必然的に欲望に振り回される社会であると考えられる。
思想的な面で、ポストモダン期には、それ以前の思想と不可逆的な変化があったと、このようなことを、浅田彰氏は言っていたと記憶しているが、心理学、精神医学的にも、近代というのは大きな変化の時期だったようだ。
さて、自分も、本書で書かれているように、自己矛盾を感じることについて、多く共感をしてしまったが、最近の人達はどうなのだろうか?
もしかすると、そういう状況について、適応している人(進化した人)も出現しているのではないか?
などと考えてしまった。
人間は本能が破壊されているとした上で、その身体としての均衡を保つために、自我を創り出す。
しかし、その自我は、自己矛盾するものであり、なおかつ、不変の土台、基点とはならないため、人間を常に不安定なものとしてしまう。
近代以前は、神のような超越したものを対象にして、自我の拠り所が存在したが、それ以降は、神や宗教の不在により、また、個人主義の勃興により、それぞれの個々人が、自我の拠り所を探さねばならなくなった。
これらの不安定な自我により表出した現象が、欲望による行為であり、現代は、必然的に欲望に振り回される社会であると考えられる。
思想的な面で、ポストモダン期には、それ以前の思想と不可逆的な変化があったと、このようなことを、浅田彰氏は言っていたと記憶しているが、心理学、精神医学的にも、近代というのは大きな変化の時期だったようだ。
さて、自分も、本書で書かれているように、自己矛盾を感じることについて、多く共感をしてしまったが、最近の人達はどうなのだろうか?
もしかすると、そういう状況について、適応している人(進化した人)も出現しているのではないか?
などと考えてしまった。