110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

くるい きちがい考(なだいなだ著)

 kikityunenさんのブログに「ちなみに、もし世の中が狂っていると仮定して、そういう思想が、人々の過半数を占めるならば、その時に正常な人とは、誰なのでしょう?」というコメントを書き込んで、その事が気になっていた時に見付けた本です(kikityunenさんには「考えるヒント」(古いかな?)を頂いています、謝々)。
 ちなみに、本書は1978年に刊行されたものです。

 読んでみると、上記の質問の解答はすぐわかりました、質問自体がいけなかったのです。
 ぼくたちは・・・家族や保健所や警察官がクルッテイルと思って連れてくるものだけを診察しているんだ。つまりクルッテイルと判断するのは連れてくる人たちの方だよ・・・。
 そう、多数決の考え方(安易ですが)でいくと、『以前、狂っているとみなされ「た(過去形)」思想』は、(現在)正常なのです。
 そういう、意見を私が言ったら、私が異常(変り者ですむかもしれませんが)なわけです。

 そういう事を最近良く考えます、歳をとったからでしょうか?
 例えば、憲法改正論議されること、貯蓄率の低下などもそうですし、自分は変わっていないと思っているうちに世の中が変わったと痛感しています。

 本書で、面白いなと思ったのは、以下の部分で(対話形式になっています)、
 ーところがだね、麻薬を密輸出している社会はどうなっているのだろう。・・・そこでは麻薬は自由に手にはいるわけだ。・・・そこでは麻薬中毒は多いだろうかね。
 ーいないでしょう。社会が中毒者ばかりになったら、麻薬をつくるものがいなくなるはずですから。
 ーそうなんだよ。麻薬を生産している社会では、麻薬はこういう場合に使うものという常識を一人一人が持っている。・・・麻薬の生産者文化とでも呼ぶべきもので、一人一人が型にはめられているわけさ。麻薬を乱用させないように、・・・しきたり、という形でね。
 ーなるほど。それは法律じゃないんですね。
 ー法律じゃない。そのしきたり通りにやらないと、まわりも、本人も、なんだか違和感を感じるという程度のものさ。ところが、麻薬が、そうした文化のないところに輸入されると、まったく自分のこのみで、勝手に使われはじめる。そこから乱用がおこる。からだに毒になるほどの量でも、平気で使われる。こういうことは、機会文明の社会のストレスが人間をそうした薬物のつくりだす人工的な世界に逃避させるという見方だけでは説明できない。ぼくは、そこに生産者文化と消費者文化の差を感じるね。・・・
 「生産者文化」と「消費者文化」の差、というの事が、30年も前の本書に出ているのですが、今まで(私は)考えなかった視点です。
 ここから、考えられることは意外に多いように思います。
 話は飛躍しますが、ベイトソンダブルバインドの考え方について、消費者文化と環境問題を当てはめてみるとどうなのかなぁ・・・なんて思います。