110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

「ヒューマニズム」について(マルティン・ハイデッガー著)

 フランス(パリ)のジャン・ボーフレからの質問に対する、書簡による回答を書籍にしたもの、本文は非常に短いのだが、翻訳者の渡邊二郎氏が、その何倍ものページ数の注釈と解説を付けてくれている。
 注釈など無くても読み込める人にとっては、不要かもしれないが、これから、ハイデッガーを読み込もうという人(私)には最適であった。
 刊行は1947年で、丁度60年前の著作であり、今時、ハイデッガーという人もいるかもしれないが、なんとなく読んでいると、中村元氏が現代語訳した道元の「正法眼蔵」を思い出した、細かい言葉を丹念に追求するところが、私にとっては、類似しているように感じられた。
 本作は、ハイデッカーとしては、後期の作品にあたるとされる、既に「存在と時間(1927)」刊行から20年が経過している。
 ここでとりあげられている「(いわゆる)ヒューマニズム」に関して、ハイデッガーは否定的な立場をとる、それは、人間ー主観ー形而上学に基づくものであり、あまりにも人間中心であることを指摘する。
 そして「存在の牧人」であるとされる「人間」は、その存在論の立場からの「新しいヒューマニズム」に移行することを示している。
 人間は、ある意味「自然」の部分があり、それと、現在の「自然」対「文明(社会)」との対立、端的には「環境問題」などを、今後どのように対応するかが重要な要素となると思うが、巷では、現行の「ヒューマニズム」すなわち「自然科学」で乗り切るという事を提唱する人が多いような気がする。
 しかし、以前のブログでも書いたが、その「人間」の作った文化は、反面「消費者文化(社会)」だという矛盾を呈している(消費することで社会を支える)。
 これは、現状では、相互にする問題であると思う。

 そんな事を考えていくと「ヒューマニズム」に対するハイデッカーの思索(批判)は何か非常に根本的なモノを教えてくれるのではないかと思っている。

 ※とりあえず、ハイデッガー月間の1冊目。