110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

ヒューマニズムとしての狂気(岩井寛著)

 本書は1981年、NHKブックスとして刊行された。
 人間の心理というものに興味がある、他人のことについてはその心理を想うのは面白い事なのだが、根底にある「自我・他我」の問題を思い起こすのでとりあえず棚上げにするとして、自分について「正常なのか?それとも、異常なのか?」と考えてみると、いつまでたっても答えを得られないことに気づく。
 それぐらい、心理的な境界線引くのは難しい事だと思う。
 たまたま、その時の「法」の決定的な違反をせずに「生活」ができることが、少なくも「異常でない」として考えられることかと思う。
 それにしても、通常でも、睡眠などでその意識(理性)のレベルが下がる人の、その精神なるものは非常にその健康についての振幅の激しい状況に置かれているようにも思う。

 本書では、精神病や神経症の患者自らが著したノートや詩などが掲載されている、確かに、文脈として成立しないような支離滅裂だと思われる表現もある。
 しかし、思想系の本を読んでいると、論理性はあるのだろうが、どうしても支離滅裂な文書に出会うことがある。
 それを、考えると、あまり違和感を感じないでしまった(それは、危ない兆候なのかもしれないが?)。
 もとより、言葉では言い尽くせないことがあるのは(ソシュールの受売り?)、言葉自体が、網の目状の結節点にすぎない以上、否定できないわけで、それを超える感性を持つ場合は、その言葉を拡張する意外に伝える方法がなくなる。
 さもなければ、沈黙するしかない。
 そういう事を考えると、決定的(物理的)に脳にダメージを受けてしまった場合以外は、逆に、脳の活動が活性化されているという事象もあるのだろう(芸術などのケース)。

 さて、本書でも「ヒューマニズム」という表題があるが、これはハイデッガーなどが問題にした「人間中心主義」を指している様に思う。
 人間と自然が対峙することによる弊害(最近の例で言うと「環境問題」のような事例)を、ルソーのように自然主義ではなく、文明を進めつつ回避する方法は無いだろうか?という、この問題を読めば読むほど、あらゆる矛盾を包含した事象について問題提起している。
 本書では、精神(病)という立場からの人間中心主義への警句について記されている、それは1980年代であった。
 そして、その内容は変わったが、現在もその問題は姿を換えて残っている様に思う。
 いや、もっとずっと前からあったような問題のようにも思う。
 それは、何かとても解決の難しい根本問題なのだろう。