レトリックの記号論(佐藤信夫著)
本書は1985年に「レトリックを少々」という書名で新潮社から刊行されたものを、表題の様に改題されて講談社学術文庫版(1993年)で刊行されたものを読んだ。
佐藤氏の、レトリックシリーズは、読むとためになる、読後に、小説などのテクストを読むと、今までと、読み方の視点を変えることがわかる、言葉に対する見方が変わるのだ。
本書は、レトリックと記号論との関係が鍵になっているようだが、その差異や相同性などよりも、「言語」自体につきまとう「あいまい」さについて、以前「レトリック感覚」を読んだときに感じたことと同じような印象を、違った論点のもとから受けた。
そう、言葉では全ての事は表すことはできない、その表現不能な「差異」をどのように表現していくのか?
そして、一見、(ある意味直感的に)了解してしまった、その言葉(文章)には、例えば「同意反復」などの「あいまい」なところはないのか?
そんな言葉の罠(?)に気づかせて(反省かな)くれる一連の(レトリック)著作である。
実は、佐藤信夫氏の「記号人間」という著作をいつか読んでみたいと思って探している。
氏の著作に興味を持っていなかった頃、一度、ニアミスをした記憶があり、非常に残念だが、まぁ、何時かどこかの古書店で出会えることと楽観している。
佐藤氏の、レトリックシリーズは、読むとためになる、読後に、小説などのテクストを読むと、今までと、読み方の視点を変えることがわかる、言葉に対する見方が変わるのだ。
本書は、レトリックと記号論との関係が鍵になっているようだが、その差異や相同性などよりも、「言語」自体につきまとう「あいまい」さについて、以前「レトリック感覚」を読んだときに感じたことと同じような印象を、違った論点のもとから受けた。
そう、言葉では全ての事は表すことはできない、その表現不能な「差異」をどのように表現していくのか?
そして、一見、(ある意味直感的に)了解してしまった、その言葉(文章)には、例えば「同意反復」などの「あいまい」なところはないのか?
そんな言葉の罠(?)に気づかせて(反省かな)くれる一連の(レトリック)著作である。
実は、佐藤信夫氏の「記号人間」という著作をいつか読んでみたいと思って探している。
氏の著作に興味を持っていなかった頃、一度、ニアミスをした記憶があり、非常に残念だが、まぁ、何時かどこかの古書店で出会えることと楽観している。