110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

文化と両義性(山口昌男著)

 本書は岩波書店1975年刊行のもの、現在は岩波現代文庫版で読める。

 文化というものは人間の創り出したもので、そこには、両義性が存在する、という問題意識からはじまる。
 それは、言葉の持つ多義性であったり、自然の無限性に対する、人間の有限性であったり、本来人間の持つ不完全さが、文化の動的な多様性を生み出している。
 それは、国の生滅であったりするわけだ。

 本書をいろいろ考えながら読んでいて、こんなことを思った。
 少し前は時計、今はテレビがデジタル化されたが、以前はどうだったかと言うと、デジタル化は、コストが高く不可能であったりした、しかし、現在は、アナログで性能を出す方が、コストが高くつく。
 そこには、時代の流れによる、基礎的な技術(文化)の進歩があるのだろう。

 それでは、そのデジタル化は進歩なのだろうか?

 同じような話だが、現在のオーディオは、デジタル化が進んでいる、確かに安価で良い音だと思うのだが、以前、存在したレコードで再生したほうが良いという話もある。
 当然、レコードは、突き詰めて言えば、元音とは違っているはずなのだが・・・

 そう、そこには、価値観の主観性という問題があると思うし、また、無謀な論旨かもしれないが、デジタル化というのは、情報量を制限すること(連続から離散)であるとも言える。

 自然の持つ、連続性を切り捨てることで、私たちは、便利な生活を送れるように、文化を整えてきた。
 そして、それは、人間が本来持つ自然性と対立することでもある。

 たとえば、正常な精神を持つ人間が、何故こんなに(生活などに)悩まなければいけないのか?
 それは、文化・社会のいわゆる両義性のバランスが崩れていることによるのではないのか?
 (文化と自然は、それぞれがそれぞれを支えあう関係性ではないのか)

 そんなことを考えながら読んでいた。