110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

「待つ」ということ(鷲田清一著)

 本書は角川選書2006年刊行のもの。

 鷲田氏は一時期「モード」系に行ったので、少し敬遠気味だったが、本書の冒頭で、携帯電話の普及で「待つ」ということができない社会になった・・・という趣旨の文言が気になって読み始めた。

 「待てる」社会というのはどのようなものか、ということは本書の範疇ではないが、ここにはある種の「時間性」が存在するように思える。
 例えば、「あること」がなんらかの「終末的」状況、もう少し、普通に言えば「結論」が分かるには、何がしかの時間が掛かる。
 振り返ってみれば、私が「言葉」を覚えるにも、周りの人々の影響も含めて、何年間も掛かっていたはずだ。
 本来、時間性を伴って、何かの形になることが自然なことなら。
 その状況を「待つ」のも、自然な姿勢であるような気がする。

 残念ながら、現代は、そういう意味では「待てない」社会になっているようだ。
 最近は(純専門的ではないが)経済のことを考えることが増えた。
 本書の「待つ」という言葉から、考えと事は、お金を借りるとはどういうことなのだろうか?ということだ。
 これは、端的に「待てない」ことなのではないか。
 一部は、現在の状況から、やむにやまれぬ事情(原因をきちんと調べない事情は泥沼化の原因)で、借り入れをすることはあるだろう。
 しかし、例えば、住宅ローンで、持ち家を購入するのは、自分の将来を担保にして、今、(現在から見た思い込みによる)未来の期待を現出させることだと思う。
 すなわち、未来は不定の要素を持っているものだが、無理やり固定して考えることのように思う。

 ちなみに、個人的には、賛否両論あろうが、借家で良いので無いか、ただ「待て」ば良いのではないか。
 確かに、借金は、その分、その時点での経済を拡大する。
 しかし、借金、いつか返さなければならないものであるという、簡単なことを忘れてはならないと思う(インフレで「ちゃら」などという話は余り聞きたくない)、そして、本日の株価も・・・・・。
 「待つ」ということは(本書の趣旨とは違う方へ脱線しているが)、そういうことも含まれるのでは無いのか?

 そんなことを考えてしまった。