110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

無常(唐木順三著)

 本書は筑摩書房、筑摩叢書1965年初版のものを読む。

 本書では、王朝期に女性文学で用いられた「はかなし」を端緒に、その後、武士の時代に男性により用いられた「無常」という言葉について考察を進めたもの。
 私は、とんと歴史的なものに関して弱いのだが、本書を読んでいて、無常というもの、そしてそこにひそむ社会現象、そして、当時の主流であった仏教・・・というもののつながりを、本書で解き明かされるにつれ、その歴史(部家の時代)というものにとても興味を持った。
 無常いう仏教用語、そして鎌倉時代に、仏教史上重要な人物が多数輩出されたこと・・・この時代には何かが隠されているのだ、それは、武士同士が互いに戦い、覇権を争ったという表面的な事象だけではなく、その背後に潜む、精神史的な要素が重要なのではないだろうか。
 もとより、仏教の戒律のひとつ「不殺生」と、殺生を生業とする武士との矛盾、そして、その武士が社会の実験を握っていく現実、その時に、仏教(教団)は、どのように振舞ったのか?
 そして、その後の実質的衰退・・・御用学問と化していく過程。
 このような面を考えてしまうのだ。

 本書でも、恵心・法然親鸞という念仏系、そして一遍(時宗)、道元禅宗曹洞宗)などの差を、無常と言う観念から捉えていく・・・それは、ある極限状況をどの様に見て・対応するかという丁度良い教訓とも言えるだろう)。
 例えば、親鸞の無常観は深く、もはや自身では救われないという、或る意味「絶望」からの他者救済を提唱しているが、それは、親鸞の生きた時代が、それほど荒廃していたことによる。
 斯様に、鎌倉時代の仏教がそれだけ重要なのは、本当の意味で極限状態にあったからだとも言えよう。
 そして、そういう意味で、この時期の仏教を探ることは、とても重要な何かを捕まえられるヒントになるのではないだろうか?

 何気なく手にした本書はとても良かった。