プロタゴラス(プラトン著)
本書は岩波文庫版で読む。
本書は、プラトンの初期の著作ということだが、当時のソフィストの頂点に立つプロタゴラスとソクラテスが議論すると言う、わくわくする設定だ(私の古臭いイメージでは、刑事コロンボが犯人と知的な対話をしつつ追い詰めていくと言う・・・あの感覚)。
そして、その期待に応えるべく、その『言葉』の意味を探りながら、その意味を追求する姿勢。
すなわち、言葉の語感や、装飾、比喩、弁論術などによる、説得ではなく、その意味に切り込む姿勢がとても好ましい。
私たちも、きちんと『言葉というもの』を捉えておかないと、「ひとはしばしば、悪を悪と知りながら、しかもなお、それをしないでいることができるのに、快楽(善)にいざなわれ快楽(善)に目がくらんで、それらの悪いことを行なう場合がある」という本書内のフレーズ(パラドックス)に、(ある時)無意識にはまることになる・・・かもしれないのだ。
前回にも書いたが、現代人は忙しいのだろう、言葉の表面に付着したイメージで物事を判断しているのではないかと危惧している・・・いや、言葉(語感)が快楽的で、人目を引けばそれで良いというような、・・・絵図のように、言葉を利用するという一面もあるのではないか・・・と危惧している。
(本当のところは、偉い先生に聞かないとわからないのだが)人間は言葉で考えているのであり、表象で判断するのは、その理性の階梯を降りることになるのではないのか?
・・・なんて雑感を覚えるのだ。
しかし、2000年以上前の恐るべき知恵には驚愕。
本書は、プラトンの初期の著作ということだが、当時のソフィストの頂点に立つプロタゴラスとソクラテスが議論すると言う、わくわくする設定だ(私の古臭いイメージでは、刑事コロンボが犯人と知的な対話をしつつ追い詰めていくと言う・・・あの感覚)。
そして、その期待に応えるべく、その『言葉』の意味を探りながら、その意味を追求する姿勢。
すなわち、言葉の語感や、装飾、比喩、弁論術などによる、説得ではなく、その意味に切り込む姿勢がとても好ましい。
私たちも、きちんと『言葉というもの』を捉えておかないと、「ひとはしばしば、悪を悪と知りながら、しかもなお、それをしないでいることができるのに、快楽(善)にいざなわれ快楽(善)に目がくらんで、それらの悪いことを行なう場合がある」という本書内のフレーズ(パラドックス)に、(ある時)無意識にはまることになる・・・かもしれないのだ。
前回にも書いたが、現代人は忙しいのだろう、言葉の表面に付着したイメージで物事を判断しているのではないかと危惧している・・・いや、言葉(語感)が快楽的で、人目を引けばそれで良いというような、・・・絵図のように、言葉を利用するという一面もあるのではないか・・・と危惧している。
(本当のところは、偉い先生に聞かないとわからないのだが)人間は言葉で考えているのであり、表象で判断するのは、その理性の階梯を降りることになるのではないのか?
・・・なんて雑感を覚えるのだ。
しかし、2000年以上前の恐るべき知恵には驚愕。