存在の彼方へ(エマニュエル・レヴィナス著)
本書は、講談社学術文庫版で読む。
読むとは書いたが、実質は眺めたというのが正解だろう。
(私にとっては)難しい本なのだ。
いわゆる、存在論に関しての著者の批判、そして、新たな見解の解説ということであろう。
それは、存在者からの存在定義ではなく、他者ありきの存在定義であるというところが、特長であると思われる。
我思うの「我」ではなく、我は、他者に対する責任として存在させられる(誰に?・・・神に)。
それは、自分の意識とは関係なく、自らを開示し、自らを犠牲とするというものだ。
本書を深く読み込む力量が無い上で、思ったのは、生物の多様性、その重層構造であり、それぞれが、上位のモノに捕食、吸収されながら、その上位のモノも、死を持って循環されるという、生態系システムについてである。
しかしながら、本書は、あくまで「存在者(≒人間)」の規定なので、生物界についての適用は少し焦点がずれているとも言える。
さてさて、存在すること、存在者とはいかなるものであろう。
今は、再読する気力が無いが、機会あれば、もう一度読んでしまうかもしれない本ではある。
読むとは書いたが、実質は眺めたというのが正解だろう。
(私にとっては)難しい本なのだ。
いわゆる、存在論に関しての著者の批判、そして、新たな見解の解説ということであろう。
それは、存在者からの存在定義ではなく、他者ありきの存在定義であるというところが、特長であると思われる。
我思うの「我」ではなく、我は、他者に対する責任として存在させられる(誰に?・・・神に)。
それは、自分の意識とは関係なく、自らを開示し、自らを犠牲とするというものだ。
本書を深く読み込む力量が無い上で、思ったのは、生物の多様性、その重層構造であり、それぞれが、上位のモノに捕食、吸収されながら、その上位のモノも、死を持って循環されるという、生態系システムについてである。
しかしながら、本書は、あくまで「存在者(≒人間)」の規定なので、生物界についての適用は少し焦点がずれているとも言える。
さてさて、存在すること、存在者とはいかなるものであろう。
今は、再読する気力が無いが、機会あれば、もう一度読んでしまうかもしれない本ではある。