世界の共同主観的存在構造(廣松渉著)
本書は1972年勁草書房刊行のもの、私は講談社学術文庫版で読む(1991年初版)。
本書は良い本だ、哲学の基本的な課題に対する、著者の見解がとてもよくわかる。
そして、現代的な視点も失われていない。
逆に、現代は、哲学的な視点を(それは、回答の得られない思慮であるがため)、忘却しようとしているようだが、忘れようが、抑圧しようが、根本的にその問題は存在する。
私としては、本書の「機廚任痢峺従歙こΑ廖峺生貔こΑ廖嵶鮖謀世界」という3つの視点から、その(世界の)存立構造を明らかにする部分がとても参考になった。
超越でも、形而上でもなく、あくまで形而下に存在する立場における<その>存在構造を熟考する、著者の姿勢に惹かれてしまうのだ。
さて、それでも、再び、ハイデッカーやメルロ=ポンティに遡ろうとする私は、「天邪鬼」なのだろう。
本書は良い本だ、哲学の基本的な課題に対する、著者の見解がとてもよくわかる。
そして、現代的な視点も失われていない。
逆に、現代は、哲学的な視点を(それは、回答の得られない思慮であるがため)、忘却しようとしているようだが、忘れようが、抑圧しようが、根本的にその問題は存在する。
私としては、本書の「機廚任痢峺従歙こΑ廖峺生貔こΑ廖嵶鮖謀世界」という3つの視点から、その(世界の)存立構造を明らかにする部分がとても参考になった。
超越でも、形而上でもなく、あくまで形而下に存在する立場における<その>存在構造を熟考する、著者の姿勢に惹かれてしまうのだ。
さて、それでも、再び、ハイデッカーやメルロ=ポンティに遡ろうとする私は、「天邪鬼」なのだろう。