110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

死の哲学(江川隆男著)

 本書は河出書房新社2005年刊行のもの。

 21世紀になっても哲学的考察を含んだ書籍が出版されるのは嬉しいことだ、ただし、著者ももっと多くの紙数を費やしたかったことだと思うが、このような小冊子での発表になってしまったのは時代の流れというべきだろうか?

 ただし、内容はそう簡単なものではなく、スピノザアルトードゥルーズ=ガダリという流れ(ニーチェも入りそう)を踏まえて、表題のように「死の哲学」を展開する。
 しかし、この「死の哲学」は、死なない哲学なのだ。
 いや、既に死んでしまった「人」に対する哲学なのかもしれない。

 <私>が<私>であるためには、<私>と同一であるという、ある種の思い込みが必要である(と思う)、しかしながら、生物は、その性質から常に代謝を行い、同じ状態にはなったいない、それは、身体の構成要素、分子などの要素もあるが、情報や知識というものもその中に含まれるだろう。
 それならば、この私という<私>は、以前の<私>とは異なる存在ではないのか、下手をするとある一部の(過去の)記憶(や状態)がシェア(共有)されているだけで、全く別の客体ではないのか?
 それならば、その過去に存在した<私>は、現在も存在していると言えるのか?
 そこには「死」があったのではないか(端的には<子供>という状態から<大人>という状態への変化)?

 本書の読み込みとしては、至って不正確だと思うが、そんなことを考えていた。
 ドゥルーズ=ガダリは、余り読み込んでいないので、このような解釈になってしまった。
 確かに、死を恐れ「不安」をもって生きる「現存在」という、ハイデッガーの思想とは、また異なっていることは理解できた。