ハリネズミと狐(バーリン著)
本書は岩波文庫版で読む。
(そういえば、本書は初読みとなる)
小編なので読みやすいかと思うと意外に考えさせられる内容で、副題に「戦争と平和の歴史的哲学」あるように、トルストイの思想遍歴を追いかけたものである。
トルストイは、真理を求めてその天賦の才を注ぎ込んで著作を作り出した。
それは、自然科学的な手法の限界性を認識し、その上で真理をつかむにはどうするかと言うものになる。
しかし、厳密に分析をすればするほど、自然科学的手法になってしまうし、さもなければ、たとえば形而上学の領域に飛躍することになってしまう。
そして、トルストイもまた、厳密に真理を追いかけていく過程において、飛躍してしまうのだというような考察がなさえている。
これは、今日も未だ残っている課題で、手法が洗練されてきたことや、自然科学的なアプローチの限界に関する認識が進んだことは事実にしても、未解決である。
いや、もし解決することができるならば、本書でも触れているように、私たちの運命は決定論的なものになってしまう。
だから、たとえこの世の法則が発見されても、私は知らないうちに一生を終えることができたほうが良いと思うのだ。
たぶん、(私は)十中八九そんな程度の個体ではあろう。
(そういえば、本書は初読みとなる)
小編なので読みやすいかと思うと意外に考えさせられる内容で、副題に「戦争と平和の歴史的哲学」あるように、トルストイの思想遍歴を追いかけたものである。
トルストイは、真理を求めてその天賦の才を注ぎ込んで著作を作り出した。
それは、自然科学的な手法の限界性を認識し、その上で真理をつかむにはどうするかと言うものになる。
しかし、厳密に分析をすればするほど、自然科学的手法になってしまうし、さもなければ、たとえば形而上学の領域に飛躍することになってしまう。
そして、トルストイもまた、厳密に真理を追いかけていく過程において、飛躍してしまうのだというような考察がなさえている。
これは、今日も未だ残っている課題で、手法が洗練されてきたことや、自然科学的なアプローチの限界に関する認識が進んだことは事実にしても、未解決である。
いや、もし解決することができるならば、本書でも触れているように、私たちの運命は決定論的なものになってしまう。
だから、たとえこの世の法則が発見されても、私は知らないうちに一生を終えることができたほうが良いと思うのだ。
たぶん、(私は)十中八九そんな程度の個体ではあろう。