記号の呪縛(有馬道子著)
本書は勁草書房1986年刊行のもの、副題として「テクストの解釈と分裂病」とあり、つい先日やっと読み終えた「自己・あいだ・時間(木村敏著、ちくま学芸文庫)」と関係がありそうだなと思って読む。
結論としては、本書にも木村氏の「前夜祭的意識」という言葉が出てきて、行き当たりばったり的な読書としては、まぁ(木村敏氏つながりとしては)宜しかったのではないかと思う。
分裂病(現在は統合失調症)では、言語においても(言語を)統合する能力の衰退があるようだ。
そして、その統合の異常とは何かといえば、(本書を受け売りすれば)社会一般における言語の統合(の異常)ということになるようだ、だから、下手なたとえだが、日本では車が左側を通行するのが法律的に決まっているのに、(そういう社会性を無視して)自分の思惑で右側を走ってしまうようなことだと言えよう。
だから、分裂症者の言葉は解釈不能ではないようだが、一般的ではないので、その近親者の助力や本人が語ることから解釈するより方法が無いという事になるようだ。
ご当人は、ある論理性のもとに言葉を発しているのであるが、その言葉を私たちは理解できないのだ、彼の論理は私たちと違うところ(世界)にあるのだ。
ただし、病的ではないにしても、私たちも言葉が伝わらないというジレンマは持っているのではなかろうか?
・・・少なくとも、私についてはそう思うが?
結論としては、本書にも木村氏の「前夜祭的意識」という言葉が出てきて、行き当たりばったり的な読書としては、まぁ(木村敏氏つながりとしては)宜しかったのではないかと思う。
分裂病(現在は統合失調症)では、言語においても(言語を)統合する能力の衰退があるようだ。
そして、その統合の異常とは何かといえば、(本書を受け売りすれば)社会一般における言語の統合(の異常)ということになるようだ、だから、下手なたとえだが、日本では車が左側を通行するのが法律的に決まっているのに、(そういう社会性を無視して)自分の思惑で右側を走ってしまうようなことだと言えよう。
だから、分裂症者の言葉は解釈不能ではないようだが、一般的ではないので、その近親者の助力や本人が語ることから解釈するより方法が無いという事になるようだ。
ご当人は、ある論理性のもとに言葉を発しているのであるが、その言葉を私たちは理解できないのだ、彼の論理は私たちと違うところ(世界)にあるのだ。
ただし、病的ではないにしても、私たちも言葉が伝わらないというジレンマは持っているのではなかろうか?
・・・少なくとも、私についてはそう思うが?