110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

モーセと一神教(ジークムントフロイト著)

 一神教多神教について興味を持ったのは「ローマ人の物語」を読んでからだ。浅学を披露するようなものだが、一神教の方が多神教よりも優れているというのが一般的な風潮のように思う。それは、現在の宗教の分布によるところが大きいと思う(キリスト教イスラム教)。しかし、「ローマ帝国」はキリスト教の勃興前の方が文明的だと思うし、その後長い事「中世」という文明停滞を引き起こす要因でもあることから、一概にそうなのだろうかと疑問に思っている。
 前回取り上げた「職業としての学問」(マックス・ウェーバー著)に、ジェイムス・ミルの言葉として「もし純粋な経験から出発するなら、人は多神論に到達するであろう」が、肯定的に引用されていた。すなわち、反対派の意見も含んだ上で判断する事が重要な事だという事を示している様に思う。
 そんなわけで、この表題を古本屋で見つけた時には、思わず手を出していた。
 最初の「モーセ、ひとりのエジプト人」「もしもモーセがひとりのエジプト人であったとするならば・・・」の各編では、モーセエジプト人であり、「アートン教」というエジプトでは数少ない「一神教」の信者であったが、これをエジプトで実現できる可能性がなくなったので、この宗教を実現するため、ユダヤの民を連れてエジプトを脱出した。しかし、モーセの教えは厳格であったので、民衆の反感を買い、最後は殺害されてしまう。しかしながら、これより、数世代後に、殺されてある意味神格化された「モーセ」の思想が復活、強化されて現在のユダヤ教が形作られると言う。歴史の謎を追うような興味深い読み物として著される。
 ところが、「モーセ、彼の民族、一神教」ではその内容が一変(少なくとも、彼の他の書籍を読み込んでない者・・・私には)する。
 このユダヤ教の誕生を「神経症」の例を引いて解説し始める。幼少期に無意識に刷り込まれた「事象」が成長にしたがって行動に影響を与えるという考え方を「民族」にも適用する。モーセを殺害したイメージが数世代後にある意味「純化」された形でよみがえり、更に強固な思想として定着する。それには、「自我とエス」の影響下にあるとする。これは、本書の「解説」で翻訳者の渡辺哲夫氏により、「エス」の影響でこのような歴史的事象が発生したという事は、本末転倒した論議展開ではないかと疑問を呈されている。確かに、詳細なに事例を積み重ねていくこの解説を読むと、余りに結論を急ぎすぎた感は否めない。
 しかし、少数派であった「キリスト教」が「ローマ帝国」を最後に支配したように、ある時「小さな事件」が、その何世代か後に「より強固に」復権することは、結果的にありえる事だと思う。
 (安倍首相の憲法改正問題など、何故、岸首相の時にはできなかったのか?)
 その様な事を考えると、この著作の問題意識は重要な事だと思う。
 また、精神医学から歴史を考察するようなアプローチは、ある意味、専門家から「嘲笑」されるかもしれないが、このような(他分野の手法による)アプローチはある意味必要な事だと思う。
 昔の哲学は、政治学であり、経済学であり、数学であり、物理学であったのだから・・・