110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

道徳形而上学原論(カント著)

 道徳の最高原理は何かという「問い」に関する「答え」を解説したのがこの著作。
 とても、読みやすく工夫された訳なのだが、一読ではわかりにくいところがある。
 ところが、「訳者後記(あとがき)」に、要約がでてきて、こちらの方がわかりやすかった。
 道徳の原点は私たちの中にある「善意志」にある。これは、感性から悟性に達し、遂に理性に達する事維と同様であるとする。
 そう、だから本質的に理性の主体であるものは根底的には「善」で動くのだ、ただし、それぞれの主観に基づく「格律」のために、「悪」の行動をする事もあるのだ、その様な事象は、「感性界」に身をおくために、ある種の経験から行ってしまうものだ。
 それなら、どうすれば良いのか、「善意志」は、私たちの「理性」から発しているのであるから、「感性界」(例えば実経験)を省いた「純粋」な理性に近づけば良い事になる。
 この本は、(純粋)理性の本質に道に導く、一種のコースガイドになっている。
 探求を進めて、純粋な理性に手の届くところで、私たちは、そこで「越えられない壁」を見出す。
 それでは、この探求は無意味なのか?
 それは、無意味ではない。
 何事も、やってみて(実践)理解する事と、結論だけを鵜呑みにして、ある意味「悧巧」に振舞うのは全く違う立場なのだ。
 そのプロセスの中には当然「正しい」考え方が存在するのだから。
 
 この本ではこの様な文章をチェックした。
「人間は自分で自分自身を創造したわけでなし、また自分自身に関する概念はア・プリオリにでなく経験的にのみ得られるのであるから、自分自身についてすらその知識は内的官感によって、換言すれば、彼の本性の現われであるところの現象と、彼の意識が〔物自体により〕触発せられる仕方とによって得られるものであることは言うまでも無い。それにも拘らず人間は、単なる現象から合成されたところの性質がすなわち彼自身の主体の性質であるということだけでは満足できずに、この性質を超えてその根底に存する何か別の或るもの、すなわち彼の「私」なるものを想定せずにはいられないのである。」

 岩波文庫版を読んだが、個人的に篠田英雄氏の訳出はわかりやすく有り難かった。