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備忘録

昭和天皇、戦争への「反省」表明望む 初代宮内庁長官「拝謁記」

8/19(月) 12:02配信

毎日新聞

 終戦後に初代宮内庁長官を務めた田島道治が在任中の昭和天皇とのやり取りを詳細に記した文書を残していたことが明らかになった。昭和天皇は戦争への強い反省の気持ちを1952年5月の独立回復式典で表明しようと考えていたほか、独立前後に再軍備憲法改正の必要性に言及するなど象徴天皇となった後も政治的な意見を首相に伝えようとしていた。宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」に含まれていない内容も多く、昭和史を考える貴重な資料となりそうだ。

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 田島元長官の遺族から文書を提供されたNHKが19日、一部を毎日新聞などメディアに公開した。

 文書は「拝謁記」と題された手帳やノート。48年から宮内庁や前身の宮内府のトップを務めた田島元長官が、就任の翌年から5年近くにわたって昭和天皇とやり取りした内容を記録していた。

 文書によると、昭和天皇は、独立回復時に国民にメッセージを出すことを望んだ。草案作りが本格化した52年1月11日に「私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と田島元長官に述べ、同年2月20日には「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事があるからそれらを皆反省して繰返したくないものだ」と語ったとしている。「下剋上」とは、戦時中の軍に統制が利かなかったことを表現したとみられる。

 「反省」の文字が宮内庁内部の検討で削除されても、戦争を悔恨する一節を入れようとしたが、吉田茂首相(当時)から反対され、最終的には受け入れた。

 式典の草稿が変更されたことは、田島元長官の伝記を出版したフランス文学者の加藤恭子氏が文芸春秋2003年7月号で発表していたが、昭和天皇の具体的な文言は知られていなかった。

 昭和天皇の「肉声」が記された「拝謁記」には、昭和天皇が米国とソ連(当時)が対立した冷戦下の安全保障環境に危機感を募らせる内容もあった。サンフランシスコ平和条約の調印から5カ月後の52年2月11日に「軍備の点だけ公明正大に堂々と改正してやつた方がいゝ様ニ思ふ」と再軍備憲法改正の必要性に言及していた。旧軍の復活には反対し、独立回復後の同年5月8日には「再軍備によつて旧軍閥式の再擡頭(たいとう)は絶対にいやだが去り(原文ママ)とて(ソ連の)侵略を受ける脅威がある以上防衛的の新軍備なしといふ訳ニはいかぬと思ふ」と述べたという。

 昭和天皇はこうした考えを吉田首相に伝えようとしたが、田島元長官が「それは禁句であります」といさめたという。天皇が政治に関われないという新憲法の理念を理解していないような発言から、象徴天皇のあり方を模索していた経緯がうかがえる。

 文書では、48年11月の東京裁判の判決の際にGHQ連合国軍総司令部)のマッカーサー司令官に天皇にとどまる意向を伝えた後も退位の可能性に言及していたことも明らかになった。【和田武士】

 ◇本音、肉声が生々しく超一級の資料

 古川隆久・日本大教授(日本近現代史)の話 長期間にわたり昭和天皇の本音、肉声が生々しく書かれた超一級の資料。象徴天皇制を始めるにあたり、天皇がどうやってそれを作っていくかを模索していたことが手に取るように分かる。また、この時期に改憲再軍備を求めていたことは知られていなかった。

 天皇というシステムが善というような風潮もこのところあるようだが、それにしても、昭和に生まれ育った人々が、あの戦争を究極的には天皇の責任を含めて裁けなかったことは後世への悔恨となるだろう。

改憲するなら、天皇制も止めて見ればと思うのは非国民的発想なのかもしれないのだが、そうすれば、現状の政治システムに対して真摯に対峙できるのでないか?