110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

日本の法律の枠だけで良いかどうか?

本ブログは、批判ではなく問題提起だ。

「熊谷6人殺人事件で上告断念 死刑回避の理由となった精神鑑定はなぜ重要?」

という記事があった。

https://news.yahoo.co.jp/byline/maedatsunehiko/20191220-00154171/

前田恒彦さんが署名執筆している。

要は、心神喪失者、心神耗弱者の法律上の規定があり、残虐な殺人事件でも、「心神喪失者、心神耗弱者」と見なされると、死刑にはできないこと、もしそれを可能にするならば、法改正が必要な事が述べられている。

しかし、相当逸脱している意見と思われる方も居るだろうが、そもそも、死刑と言う刑罰が必要かどうかということを世界的には論議がされている。

この記事は、日本の法律内での批評・評価だが、その周りに世界があること、その視点も忘れてはならないのだろうか?

斯様な話だ。

(以下は独り言)

昔の小説なんかで極悪な犯罪を「心神喪失者」として逃れるなんていうのがあった様な気がするのだが、昔は、「心神喪失者」は「気狂い(きちがい・・・この言葉は差別酔用語のようで一発では変換できない)」と見なされ、一般生活をおくる上で相当な差別を受けることになる。だから、刑は免れたにしろ、地獄の日々をすごすなんていう落ちが結構あったりしたのだが、今は、精神的に病んでいる人が、(なんとなく)社会に受け入れられている状況なので、社会的な抑止力が低下しているのかな。

その辺が日本という国の社会的な変化なのだろうね。

以前にも、悪がなくなったことを話題にしたことがあるのだが、それは、私は悪者という風体の人がいなくなり、お隣の一見穏やかそうな人が凶悪犯罪人であってもおかしくないという状況になってしまったわけで、事実、最近は一見普通の容貌の人が殺人犯であることが当たり前になった。

これは怖いよね、「悪」は基本的になくならないのに、敢えて蓋をしてしまえということだからね。