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学術会議問題、政府側の気迫あふれる擁護論

日本の安全脅かす日本学術会議6人任命問題
11/6(金) 6:01配信 JBpress
日本学術会議を巡る国会論戦には日本の安全保障という最も大切な点がすっぽり抜け落ちている
 野党と左派系マスコミは、日本学術会議(以下学術会議や会議など)会員に推薦者6人を首相が任命しなかった「理由」と、慣例を踏襲しなかったことを「違反」として質している。
 しかも、任命されなかったのは「安保法制に反対した」からではないかと勝手に決めつけ、思想信条で排除したのは憲法違反ではないかと疑問を呈している。
 どこの世界でも昇任や役職などでは基本的に「上申」があるであろうが、任命権者がその任に値するかを総合的に評定するわけで上申通りにいかないことも多いし、上申した方も理由を詳らかにせよとは言わない。
 人間だから好悪感情が関係することもあろうが、それだけが理由になることはなく、また理由の一つであっても表立ってそれは言えない。
 これは常識で野党もマスコミも承知の上で、政権をいびり続けて支持率を低下させ弱らせたい、次なる選挙で得票率を稼ぎたい一心から執拗に質し、「安倍亜流政権」として攻撃したいのであろう。
 しかし、内外情勢の急激な変化と対応の必要性に鑑みれば党利党略でしかなく、国家と国民にとっては百害あって一利なしだ。

■ 多様性を考慮した総合的・俯瞰的で十分
 菅義偉首相は6人を任命しなかったことを「総合的、俯瞰的」に判断したと説明してきたが、執拗に問いただす野党には「安保法制に反対した」からだという文言を引き出したい意図が見え隠れしている。
 学術会議や野党をはじめとする批判者たちが「総合的・俯瞰的」では理解できないというので、さらに「多様性」という言葉で大学、民間、女性、年齢などの構成比率に偏りがあると敷衍し、具体的には旧帝大系7大学で45%、国公立大(帝大系を除く)17%、私立大24%、産業界3%、49歳以下3%などと説明した。
 また、約90万人の科学者の組織でありながら、会員210人と連携会員2000人が候補者を推すことから会員はお互いに近しい間からしか選ばれないことから、首相は「閉鎖的で既得権のようになっている」と会議の硬直性と弊害を指摘し、改革の必要性も考えたとした。
 会議側は女性会員を増やすことなどに努めてきたと反論し、野党はどこまでも「非任命の理由」にこだわり続けている。
 もう一つ野党が質しているのが、推薦された人をそのまま任命するという「慣例」を踏襲しなかったことである。
 中曽根康弘首相(当時)が「推薦者をそのまま任命するのは形式」と答えていることを以って「慣例」重視が政府のあるべき姿ではないかと迫る。
 そして何と「天皇は、『国会の指名に基いて』、内閣総理大臣を任命する」となっている憲法条文を引き合いに、日本学術会議法では「(学術会議の)『推薦に基づいて』、内閣総理大臣が任命する」となっており、推薦されたものを内閣に拒否する権利はないというのだ。
 ここには、国政に関与できない天皇と政治の最高責任者である首相の同一視が見られるが、混乱も甚だしい。
 さらに言えば、国権の最高機関である国会と学者の集まりであるが閉鎖的な学術会議の同一視も見られる。
 権力の乱用は慎まなければならないが、政治は国内外の情勢に常に留意しながら、国家の独立と国民の安全を最優先に、国益を毀損しないように状況に応じて運営しなければならない。
 すなわち変化が常態で、慣例重視が常道ではない。
 非任命が「学問の自由」を犯したとも批判するが、あえて言えば会員になり「時間」や「テーマ」を縛られる方が「学問の自由」を侵害されることになり、批判は的外れである。
 憲法崇拝者や反戦思想の持ち主であっても、大学などでの研究、すなわち「学問の自由」は保証されている。そうした学問の自由が存在することがむしろ健全な国家である。
 ただ、そうした思想の持ち主が会員となり反戦や好戦的「行動」をとって学術会議を牽引するとなれば、とても「中立的」とは言えない存在になり、学術会議法にも抵触する。

■ 野党質問者の誤誘導
 11月2日午後の衆院予算委員会では立憲民主党奥野総一郎委員が質問に立っていたが、首相がいくら偏りを是正する点から行ったと答弁するも6人を外した理由にはならない、非任命は恣意的ではないかなどと食い下がり、(法律には)選定基準がなく、推薦者全員を認めてきた前例を踏襲しなかったことを「恣意的」と批判した。
 そもそも、野党やマスコミは任命しなかった理由と慣例を踏襲しなかったことだけを問題にしている。
 従って、菅義偉首相が官房長官時代から「気に掛かっていた」ということが聞こえないようだ。
 首相になる前から学術会議の在り方や会員構成、例えば旧帝大系、その他の大学、民間、女性、年齢構成などの過剰なアンバランスに対する問題意識を有していたところに、首相になると間もなく任命問題が提示されたのだ。
 そこで、学術会議の抜本的改革ではないが、取りあえず可能な範囲で「総合的・俯瞰的」立場から「多様性」をもたせようとした結果が6人の非任命であったということだと思われる。
 「排除ありき」や排除された人物の「思想・行動」がまずあったというわけではないであろう。
 排除された人士に通じた会員が既に「多数」存在し、そのまま任命すれば「歪」をさらに拡大するため、推薦者の中から該当者が排除された結果が、野党やマスコミが「思想や信条で排除するのか」という格好の攻撃材料にフィットしたということであろう。
 この推理が万一、間違っていたとしても、野党やマスコミが「安保法制に反対した」から排除したという主張は通らない。
 なぜなら、首相は長官時代から問題意識を抱いており、その時点から偏り是正を考えてきたわけで、その視点は「総合的・俯瞰的」に「多様性」を追求したということであろう。
 首相の心中を偶々忖度することになったが、野党やマスコミという公党や公器が「忖度」だけで延々と論争するよりも、すでに学術会議には大きな問題があることが分かっているわけで、「どのように改革すれば期待される機能が発揮されるか」に論点を移すのが賢明だ。

■ 国会の情けないほどの為体
 小川榮太郎著『徹底検証「森友・加計事件」 朝日新聞による戦後最大級の報道犯罪』を瞥見しただけでも、森友・加計事案では安倍首相(当時)や同夫人が関与しなかったことが判然とする。
 にもかかわらず、一部の野党やマスコミは「関与した」という前提で問いただし、「関与していないゆえに答えができない」ことをいいことに、あの手この手でねちねちと問い続けた。
 一重に、「長期一強政権」憎しの感情で政局にしたかっただけで、日本と日本国民のためではなかった。
 不毛な論戦は2017年の2月から8月くらいまでの半年以上も繰り広げられ、国政を混乱させ続けたが、この間に北朝鮮は日本をすっぽり覆い尽くし、EEZ内に落下させる弾道ミサイルの発射試験をしばしば行っていた。
 結局、「大山鳴動して鼠一匹」も出なかったわけで、時間的ロスの代償が今日の日本に大きくのしかかっていることは言うまでもない。
 「朝日新聞が見出しを嘘八百で塗り固めてでも『安倍疑惑』を騒ぎ立てようとするのは、購読者に対してという以上にテレビ映りを多分に意識した手法であろう」。これは小川氏の著書に書かれた一節である。
 森友・加計問題に対する新聞論調は、朝日、読売、産経では全く異なっていたが、テレビの報道はそれぞれの系列新聞の論調ではなく朝日新聞の論調を模倣した横一線で、「朝日(新聞)の論調に乗っかって、どんな虚報も平気で垂れ流す」「テレビでは、ワイドショーを中心に、新聞紙面をそのまま映像で映して紹介する番組が増え」る状況であった。
 こうして「朝日(新聞)発の虚構が、テレビとのキャチボールで日本社会を森友スキャンダルで覆い尽くす」ことになり、「安倍政権が提出した予算を審議も吟味もせずに信認」し、「日本の国政は完全に漫画と化した」(小川氏)のだった。
 小川氏は、モリカケ事件で大騒ぎしている間に「本当に争点とすべき国家的な問題が巨大なネットワークと化してタブー視され、陰でこの国を蝕みつづけている」という。
 それらは「電波と新聞の少数者による独占、パチンコをはじめとする賭博や闇社会の海外利権、弱者利権、極左労組利権、宗教法人利権、反日アカデミズム利権、マスコミと霞が関がグルになっての天下り利権」などを挙げている。
 ここで言う「反日アカデミズム利権」こそが、学術会議問題に相当しよう。
 会員の任命は首相の権限であり、天皇の首相任命まで引き出すことは立憲君主制憲法も理解していないし、国民的常識さえもち合せていないと言わざるを得ない。
 小川氏が上述した国内的問題もあるが、いまは中国への対処に最大限の知恵を集中すべき時である。
 中国は国防動員法や香港国家安全維持法、国家情報法を定めているが、この法律は日本在住の中国人や中国に進出している日本企業、さらには香港などで取材する日本人記者等にも大きな影響をもたらす。
 また、尖閣諸島には連日のように中国海警隊の武装警備艦艇が侵入し、時には日本漁船を追跡して、中国領海から退去せよとの警告さえ発している。
 このように、日本の主権が日常的に侵害され、この状態が高ずれば独立さえ危ぶまれ兼ねない。
 北朝鮮は既に日本の主権を侵害して日本人を拉致しており、いまだに原状復帰させ得ない。学術会議の「軍事研究に関わらない」声明の重さが、憲法改正に否定的影響を及ぼしてきたことも指摘されている。
 敗戦直後の非武装は日本の復興に寄与したが、ソ連崩壊後の国際情勢の激変、中でも中朝の軍事重視と対照的に米国が「世界の警察官でない」と宣言するに至って、日本の安全保障環境は激変した。
 そうした中で、学術会議が日本の軍事研究は罷りならないとしながら、中国の軍事研究に協力しているとなれば何をかいわんやである。
 日本の国益を害する形で中国に関わっているとみられる科学者や学術会員が現実に相当いることが分かっている。米国ではそうした科学者の摘発が進んでいるが、日本はそうした対処ができない。

■ 国会論戦で第一に必要な「独立と安全」
 「問題でない」ことを「問題化する」のは時間の無駄で国益を毀損する。
 本当に問題にすべきは学術会議の存続も含めたあり方と、「日本の安全保障」や少子高齢化社会と移民問題などの日本の在り様である。無駄な時間の浪費は、取り返しがつかない結果をもたらす。
 森友・加計学園問題に国会は半年以上を費やしたが、野党が倒閣狙いで追及した首相の「関与」も首相への「忖度」もなかった。
 この時期に北朝鮮は核弾頭と弾道ミサイル開発に血道を上げていた。本来であれば、日本は米中などと連携して阻止するなり、日本自体の対処策を論議すべき時であった。
 いままた、無益な学術会議会員の任命問題が論戦の主題のようになっているが、モリカケの二の舞を踏んではならない。
 日本の安全や、主権侵害と人権に関わる問題こそが「国家」の存続や威厳・名誉に関わり、等閑視できないはずである。
 ISなどの係争報道のために自ら出かけた記者やカメラマンなどが拘束されれば、国家挙げて解放を願うし、政府が進んで行動もする。こうした事案が中東やアフリカ、南米等で何度も起き、日本はその都度強力に対処した。
 ところが、領土を侵害されて日本国内から拉致して連れ去られた被害者を取り戻す動きは鈍い。なぜ日本は立ち上がらないのか。立ち上がれなくした根本はどこにあるのか。
 国民の倒錯でこれ以上のものはあるまい。政治、中でも野党が取り挙げないからにほかならない。野党支持率の低迷は推して知るべしであろう。
 発覚した時点では当該国は核も弾道ミサイルも持っていなかった。日本が決意をすれば、いろいろ対応策が編み出せたに違いない。今や時すでに遅しである。
 とは言いながら、国家意思を示すためにも国会で論戦が繰り広げられなければならない。こうした人権を無視してモリカケ、そして今は6人の非任命を問題化する錯誤である。
 場合によっては、拉致被害者を取り戻すという名目のもとに、日本が当該国に圧力を掛けられる武力をもつ決議さえ行えたのではないかと思う。政治の怠慢とはこうした「国家意思」を示せなかったことである。
 それどころ、今では完全に日本を覆い尽くせる核弾頭付き弾道ミサイル保有するまでに至ったが、核シェルターなどの対策は一歩も進んでいない。市町村の庁舎には「核廃絶」や「平和都市宣言」の看板が建っているだけだ。
 イージス・アショアも頓挫し、国民の核防衛能力は低下している。
 全く価値のない立て看板の宣言よりも、戦時に建設した防空壕などを核シェルターに再利用する方策の研究が、観光資源にもなり一石二鳥ではないだろうか。
 今や中国は覇権国家へがむしゃらに進んでいる。それを加速する「千人計画」に日本人科学者も相当数いるとされる。
 学術会議は日本では軍事研究には携わらないとしながら、軍民融合を唱える中国の民間団体と協力協定などを結んでいる。日本の独立や安全に及ぼす影響は大である。
 国際情勢、中でも中朝情勢、その中には香港情勢やウィグルをはじめとした人権状況(人類運命共同体)もあるであろう。
 また尖閣諸島の状況を分析し、総合的視点から軍事研究問題にも視点を当てる中で、大学の在り方や学術会議の対中協力も含めた在り方などが議論されなければならない。
 頻発する災害問題もある。こうした個別的な議論の上に憲法問題があるのは言うまでもない。しかし、今の日本では何一つまともな論戦は交わされていない。

■ うぶすぎる知識人たち

 ソ連が健在時代の1970年代に2人の教授が「戦争と平和」について論戦した。平和論者は「威厳ある降伏をして政治的自由を獲得すればいい」と述べていた。
 しかし、サハロフ博士などの著名な科学者さえ、反政府の立場をとれば容赦なく収容所に送りこんだ。
 いまの中国はソ連に輪を掛けた言論抑圧、人権無視、民族・文化抹殺の国家である。
 そうした中国の状況を新聞などのマスコミが日々報道しているにもかかわらず、今度会員に任命されなかった岡田正則・早大大学院法務研究科教授は、相手の軍備にこちらが技術を動員して対抗するのは時代遅れで「中国でも北朝鮮でも、国際社会で変な武器をもたないようにしましょう、使わないようにしましょうとするのが自衛の在り方」(「産経新聞」10月29日付、「阿比留瑠枇の極言御免」)とBSフジプライム(26日)で述べたというから驚きだ。
 阿比留氏はマックス・ウェーバーの『職業としての政治』の中の一節「もし教師たるものが・・・自分の政治的見解を彼らに押しつけようとしたならば、それは教師として無責任極まることだ」を引用して、岡田教授がどんな講義をしているかを想像し、「共産党の積年の主張と通底する」と指摘している。
 習近平国家主席は世界に向かって「人類運命共同体」といいながら、人民元をばらまいて一帯一路でインフラ整備をしてあげますよと喧伝している。
 しかし、その中国は中央の意志に反するものには思想改造を強要し、言語を奪い文化破壊をもたらしている現実を、我々はウィグルやモンゴル族に見ている。
 世界の関心を集めたノーベル賞受賞者劉暁波氏でさえ、十分な医療を受けられず死亡した。
 香港の自由は無残にも放棄され、尖閣諸島には日本の「遺憾」表明をものともせず連日のように侵入し、漁船を追跡する危険行為を行うに至っている。
 北朝鮮米朝首脳会談の隙間を盗んで、米国全体を覆うICBMを完成させた。無力な日本に武力をちらつかせた脅迫でやってくることは数々の所業から目に見えている。
 「変な武器は持たない、使わないようにしよう」といった話し合いが通じる相手ではない。
 日本の東京工業大学に相当する上海交通大学の名誉教授で1981年以降、毎年のように中国へ足を運んでいるという、東大総長から参院議員となり文部大臣を務めた有馬朗人氏は「向こうでは、基礎物理学の原子核構造を研究して論文を書いている。100本くらい私の名前が載っていますよ」と自慢する。
 そして「軍事研究に該当するのであれば私は協力しないという態度を、きちんと表明した上での話ですが」といいながら、「中国へどんどん行けばいい、・・・中国の科学研究が発展しているのなら、日本人やアメリカ人が出向き、その知識や経験を持って帰ってくれればいい」(「週刊新潮」(2020.11.5)と言い放つ。
 文部大臣と言えば国務大臣でもある。国家の安全にも責任を持った大臣が、今や中国の在り様を知らないはずはないであろう。
 その上でのこの「能天気」ぶりを何と表現したらいいのだろうか。
 日本という国家の在り様、国家の存在、「研究者」でありさえすれば、何もかも忘却の彼方でいいと言わんばかりではないか。

■ おわりに
 学術会議の前会長の大西隆・東大名誉教授は「(同会議が中国の千人計画に積極的に協力しているという情報等に対し)学術会議は全く関わりを持たない。悪質なデマ」(「朝日新聞」10月16日付)と批判している。
 団体としてはお互いに連携しようという協定を結んでいるだけかも知れないが、現・元会員や連携会員などが中国人教え子から恩返しで「千人計画に参加してほしい」などの申し出に渡海して教鞭をとっている。
 戸谷友則・東大教授は「産経新聞」(令和2年11月1日付)の「学術会議への警鐘」で、「軍事研究は戦争への道という人もいれば、戦争を抑止する安全保障のための軍事研究があり得るという人もいる」という。
 また、「一部の人たちの意見で全研究者に軍事研究を禁止することが許されるのであれば、時代が変われば、同じ制度のもとで逆に全研究者に軍事研究を強制することも可能となろう」と述べている。
 学術会議が反戦的な声明を重ねて出し、多くの大学の防衛省とのかかわりを一意的に断絶させてきた。
 今日の国際状況からは日本の安全に及ぼす影響は重大であり、等閑視できなくなっている。そうした視点から学術会議会員の構成が是正されなければならないことは言うまでもないであろう。
 学術会議には「中立性」も求められているが、これまでは左翼的・反日的で政治的行動まで行い、国益を毀損し続けてきた。
 日本の独立と安全には与党も野党もない。本来であれば、野党は、学術会議会員の見直しが遅すぎたことを問うべきなのではないか。
 さもなければ、日本沈没につながりかねないからである。
森 清勇

政治的な見解からの政府擁護論だと見ている。

また最後の「さもなければ、日本沈没につながりかねないからである。」というフレーズは、どちらかというと安全保障面からの記述だが、日本の知性という面から考えると、すでに日本は沈没している、とも言える。

研究者の考え方としては、中国だけではないのだが、海外に出ていかないと自分のやりたい研究ができない、経済的な面で国内の仕事だけでは足りないというころなのかも知れない。

つい先だって、国産の航空機開発が事実上停止された、これは、民間のある製造業の問題と片付けることができるのかもしれないのだが、長年開発しても実を結べなかったことは、やはり、国の知力の低下であると考えても良かろう、しかも、航空機は軍備にも影響を及ぼす技術でもあるはずだ。

だから、私は菅総理の対応を問題視しているのだが、野党の質問等は本論でもご指摘の通り、憲法などの法律解釈に過ぎないので、これは取り上げない。

最初に述べた通り、学術会議が納得するようなきちんとした対応をしなければ、日本の知性の何割かがやる気を失って大きな知力低下が引き起こされるということだ。

この知性低下は、この学術会議問題から始まるのではなく、日本政府の知に対する冷遇が、ここで噴出したのだととらえた方が良い。

この責任は、政府ならびに文科省などの関連省庁にある、ただし、これらの国家権力を糾弾しても仕方がない、すでに、そういう凋落傾向にあるのだ。

だから、どう立て直すのか、それを、きちんと提示するべきだ。

年間10億円の予算など、本当に日本の知力を上げられるでのあらば「安い」はずなのに、世間では「高い」という論調がまかり通ることが自体が問題なのだ。

学術会議を丸ごと引き受ける、民間のファンド(人材コンサルタント的な業態)が生まれた時、政府はどうするのだろう?

当然、中国も含めた他国からの資金を受けて研究することになろう、当然、間接的に軍事に関わることもあろう、しかし、それは、止めることはできない、それこそ、学問の自由である。

私は、すでに日本は中国に依存していると見ている、単純に生活を続けていくうえで、Made in Chinaのものがないと成り立たないのだ。

お金持ちで、すべてのものを国産で賄えるという人もいるとは思うのだが、私には無理だ。

アメリカは政府自体が同盟関係を重視していると宣言しているから、依存関係は明白だ、防衛面での協定もそうだが、没落した日本はアメリカに寄り添うことで威信を保っているという事を述べた人もいたし、事実、そうなりつつあるようにも思う。

日本は、そこまで来ているのだ・・・とも言えよう、悲しいかもしれないけれどもね?

学術会議問題を政治的に潰して悦に入るというのも、まぁ、そういう政治的な(内弁慶な)人には良いのかもしれないけれども、その場合も、日本の没落を加速させるということは知っておいて欲しいな。