110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

村上陽一郎氏の”学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?”を考える

 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、「学問の自由の侵害」と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は「現在の」日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。

日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。

今、思えば、そうした状態を見ぬ振りで放置した研究者や会員に大きな責任があるのですが、見かねた政府が改革に乗り出し、それなりの手を打って来ました。1984年に会員選出は学会推薦とすることが決まり、2001年には総務省の特別機関の性格を明確にし、2005年には、内閣府の勢力拡大とともに、総理直轄、実際には内閣府管轄の特別機関という形で、日本学術会議は完全に国立機関の一つになりおおせました。

もちろん、この動きに反対する活動も無かったわけではないのですが、政党支配に不満を持つ一部会員は、この政府の動きを支持し、一般の会員の大部分はここでも成り行きに任せた状態のままでした。

その結果として、今回、菅首相が主張する、日本学術会議は国立の機関として、首相・内閣府の管轄下にあること、その会員は(特別)公務員としての立場にあること、その任命の権限は内閣・首相にあること、といった内容は現行の規定に従えば、まず疑問の余地のないところです。

実際、今回の件で、自分の学問の自由を奪われた人は、一人もいません。強いていえば、任命を見送られた方の中で、学術会議会員の資格の欲しかった方は、希望の就職の機会を奪われたことになるわけですが、それも就職の際には、常に起こり得ることと言わねばなりませんし、どんな推薦があっても採用されないという人は出るものです。採用されなかった人に、その理由を細々と論って説明する義務は、選考側には通常は無いはずではないでしょうか。

そうした事情を抜きにして「学問の自由」を訴えるのは、完全に問題のすり替えであって、学問の自由の立場からすれば、却ってその矮小化につながる恐れなしとしません。むしろ、学術会議の会員になること自体が、ある立場からすれば、学問の自由に反する行為になる可能性さえあるのですから。

 

村上 陽一郎(むらかみ・よういちろう)

上智大学理工学部東京大学教養学部、同学先端科学技術研究センター、国際基督教大学ICU)、東京理科大学、ウィーン工科大学などを経て、東洋英和女学院大学学長で現役を退く。東大、ICU名誉教授。専攻は科学史・科学哲学・科学社会学。幼少より能楽の訓練を受ける一方、チェロのアマチュア演奏家として活動を続ける。

村上氏の著作は私も読んだこともあるし、未だに、未読のものもあり興味の尽きない人である。

そういう(村上)氏の見解なのでこれは承るしかないと思う。

この記事を知ったのは、学術会議問題についてのコメント欄に言及されていたからで、どういう論調なのか興味があったので検索したら全文が掲載されていた。

なるほど、文句はない、しかし、村上氏はもしかすると裏に張り付けたと思える問題点がありそうだ・・・と思った。

2005年には国立機関のひとつになったので、任命問題は存在しないという見解は説得力がある。

しかし、今回世間が騒がしくなったので、学術会議の見直しをするということになれば、2005年に政府の管掌下に入った機関が見直しをしなければならない(悲惨な・・・学術的)状況にあるということ、その(15年)間の政府の責任はいかがなものだろうか、という反省を村上氏はその見解の中に含ませているのではないだろうか?

表題のフレーズ「学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?」は、この問題が存在しないという意味ではなく、その他にもっと重要な問題があるのではないか・・・という風に、特に最後に疑問形にしたことが物語ってはいないか?

さて、その村上氏の論述を承った上でも、このブログの最近の批判の傾向は、学術会議法を勝手な解釈で歪めている政府側の言い分が、法治国家という基本を侵害しているのではないかということを指摘していることにある。

だから、学術会議を民間化することまで書いている。

 

まぁ、結論として、政府の対応は、当初の「学術会議は国立機関でありその人事について他に干渉される責任はない」という見解を示し続ければ良かったことになる。

しかし、再三言うように、いずれにしても、日本の学術レベルは低下した、もしくは、低下することに間違いはない。

学術会議問題をくだらない議論だと一蹴した論者もいるが、たしかに、くだらない話だが、日本の学術レベルは下っていく。