110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

権力論――日本学術会議問題の本質(抜)

赤旗のスクープで交渉の余地がなくなった」日本学術会議問題を佐藤優はどう見た?
11/14(土) 6:12配信 文春オンライン
 いわゆる「日本学術会議問題」が紛糾している。だが、そもそも何が問題になっているのだろうか。
〈「政府の一連の対応は、学問の自由に対する介入だ」という批判がなされていますが、もともと菅政権にそこまでの意図はなかったと私は見ています。しかし、この諍いが続くことで、結果的に「学問の自由に対する介入」が本当に起きてしまうかもしれない〉
 こう危惧するのは、元外務省主任分析官で作家の佐藤優氏だ。

官邸中枢にとっては“もらい事故”だった?
 佐藤氏の見るところでは、今回の問題は、「高度な政治意思」(=意図的)というより、さまざまな「偶然」が複雑に絡み合って生じている。
 この問題を解きほぐすために、まず官邸中枢での「決裁」の日常業務について、佐藤氏はこう指摘する。
小渕内閣時代に、鈴木宗男官房副長官の横で、首相に上げる膨大な決裁書を決裁する場に何度も立ち会ったことがあります。秘書官などが「(人事について)これで問題ありません」「全員は認めていません」「(予算を)少し減らしています」と小声で耳打ちするだけで、政治家が特段の関心を持っている案件以外は、詳細な説明なしに、そのまま決裁が通ります。(略)今回、菅首相も、上げられてきた人事決裁案をさしたる問題意識ももたずに決裁してしまったのでしょう。(略)官邸中枢にとっては、おそらく“もらい事故”という感覚ではないか〉

情報官僚の日常業務
 そして、行政の中枢(官邸)の意図とは別に、主要なアクターとして、「情報を扱う官僚」(警備公安担当の警察官僚だけでなく、法務官僚、外務官僚、防衛官僚のうち情報部門への勤務経験がある者)が存在するという。
〈人文社会科学の学知が何たるかを理解しないままに、日常業務として、新聞、メディア、インターネット上での発言をチェックしている課長補佐レベルの官僚が、目障りな学者を大した考えもなしにリストに載せたのではないか。野間宏の小説『暗い絵』に、マルクスに影響を与えた哲学者、ホイエルバッハを「ホイエルパッパ」と言い間違える戦前の特高警察について、「概してホイエルパッパと言うような奴は、頭は余りよろしくないね」という話が出てきますが、実際、この程度の知識しかない情報官僚もいるのでしょう〉
 これに、菅政権の「政治主導」が合流して、“事故”が起きてしまったではないか、というのが佐藤氏の見立てだ。
〈他方で、菅政権としては、公務員の人事に関して、「推薦名簿をそのまま認めない」という点に、漠然とした「政治主導」としての意味を見出している。
 つまり、一貫した「高度な政治意思」というより、この二つの流れがふわっと結合して、官邸としても、起きてみてから“大変なこと”になってしまった〉

赤旗』のスクープで“軟着陸”が不可能に
 それでも、「学術会議」と「官邸」の二者の間だけでやりとりが続けられていれば、“軟着陸”の余地は十分あったと佐藤氏は見る。これが、妥協不可能な“政争”となってしまったのは、10月1日に『しんぶん赤旗』の“スクープ”が出てしまったからだ。
〈しかし、学術会議の事務局員は、公務員として守秘義務があるはずなのに、人事発令の前に、なぜこういう情報が革命政党である共産党に流れたのか。官邸からすれば、これは“スクープ”ではなく“情報漏洩”です〉
〈『赤旗』に出なければ、6名の任命拒否の内示を受けた時点で、当時の会長である山極壽一氏が、「これは何ですか」と首相官邸にすぐにかけ合えば、官邸と学術会議の間で交渉の余地はいくらでもあったでしょう。一種の“歌舞伎”として、学術会議が定員以上の候補名簿を新たに提出すれば、任命者にこの6名が入っていたとしても、まとまった可能性も十分あったのではないか。とにかく“軟着陸”は可能だったはずで、それが不可能になったのは、学術会議が動く前に、『赤旗』の“スクープ”が出てしまったからです〉
 では、この問題は、今後どうなっていくのか。

「総合的、俯瞰的」という説明に見る“良心”
〈“政争”になった以上、菅政権としては、少なくとも今すぐには、6名の任命を認めることはできない。しかし、「総合的、俯瞰的」という誰も納得できないような稚拙な説明に、私はむしろ菅政権の“良心”を見ます。「マズいことになったな」というある種の疚しさが感じられるからです。そこにせめてもの“救い”がある〉
〈怖いのは、官邸は「早く店仕舞いをしたい」と思っているようなのに、「アカデミズムに介入するチャンスだ」と思い始めている人たちが自民党の一部にいることです。(略)
 こうした動きに呼応して、一部の右派系雑誌が、「6人の左翼学者は過去に何を言ってきたか」といった特集を組み、それに興奮する世論がインターネット空間に生まれ、かつての蓑田胸喜(滝川事件や天皇機関説事件の弾劾者)のような人物が活動できる状況が生まれて、「電凸(電話突撃)」で、任命拒否された学者のいる大学に抗議の電話が殺到するようなことが起こらないか心配です。
 こうなると、学術会議だけでなく、大学やさまざまな研究機関が萎縮してしまう。とくに加藤陽子氏のような優れた学者が、仕事をしにくい環境に追いやられ、才能を消耗させてしまうことを私は危惧しています。最終的には、国民にとってマイナスでしかありません〉


 この問題の経緯と構図を明快に読み解く、佐藤優氏「 権力論――日本学術会議問題の本質 」の全文は、「文藝春秋」12月号および「文藝春秋digital」に掲載されている。
「文藝春秋」編集部/文藝春秋 2020年12月号

せっかくだから、全文載せて欲しいな。

ヤフコメには、共産党という言葉だけで「悪」と決めてかかるものもあり、つくづく、怖い世の中になったものだと思う。

しかし、「・・・全文は・・・」とあり、途中までのこの記事で「納得した」というようなコメントをした人たちについての冷静さはどうなんだろうか?・・・と思ってしまうね。

適当なところで「多様性」と言い、適当なところで「排除」する、まぁ、人間とはそういうものではある。

 しかし、それが度を過ごして酷いと、世の中が乱れる。

加藤陽子氏の”それでも、日本人は「戦争を選んだ」”は、私も読んだことがある、読後のことは覚えていないので、ぱらぱらといくらか見なおした(竹内好戦争賛成者として取り上げたのはちょっと心外だが・・・まぁ、戦中、戦後の「転向」についてもあれだけの大事件なんだから受け入れねばならないよね?また、なんでも詳細に書いていたら文庫本一冊には収まらないしね、だから、歴史は読み手も興味があれば、そこに出てくる人物や事象なりを自分なりに調べていけばよい・・・と思う)。

彼女の全ての生活を私は知らない、でも、加藤氏のこの本は読んでみる価値はあると思う。

「歴史」・「敗戦」と、並べて考えて見れば良い、歴史は必ずしもすべての事象は表せない、今残る歴史は(屈辱だろうと)勝者の歴史だ。