110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

アメリカの民主政治(A・トクヴィル著)

本書は講談社学術文庫版で読む。

大統領選挙で私の持つアメリカのイメージが大きく崩れたので、腹いせに、この本を読むことにした、最近はいつもぼやいているのだが、読むスピードは遅くなり、もう、誰も大統領選などには関心も示さない、今、読了した。

でも、本書は古典的名著だ、読書の動機は不純極まりなかったのだが、それでも読んでおいて損はないものだと思った。

日本も民主政治のはしくれだと思うのならば読んでみると面白い、講談社学術文庫版の上中下3巻を読むのが面倒なら最後の下巻を読むと民主主義、民主政治の見方が深まるのではないかな?

本書では一貫して「平等と自由」という問題提起が出てくる「民主主義(民主政治)って自由で平等じゃないの?」という方も是非お読みいただきたい。

ちなみに、トクヴィル氏はアメリカ人では全くないので、まったく冷めた視点からこの民主政治をとらえているところが、素晴らしいのだ。

さらに、著されたの時代が、民主政治なるものが立ち上がりつつある時だけに、民主政治を賛美するわけではなく、批判的にとらえているところがあるのも良い、貴族制の方が良いところもある、と記すなど容赦がない面もある。

 

そして、トクヴィル氏の民主政治への危機感を、そんまま日本の民主政治の現状に(まぁ、無理やり)当てはめて見ると面白いことになる。

まぁ、とりあえず、おすすめの下巻から、なんとなく、マークしておいたところを抜粋してみよう。

そういうわけで、民主制では、各人は自らの祖先を忘れるようになるが、自らの子孫も姿を消すようになり、そして自分自身をその同時代の人々から引き離すようになっている。そこでは、各人は絶えず自分一人に立ち戻り、そしてついには、自分自身を自らの心の寂寥のうちにまったくとじこめてしまうことになる。

上記の引用では、個人主義について指摘しているようだが、最近のコロナ禍での、高齢者と現役世代との対立(症状についての軽重)を思い描いてしまった。

 

民主主義の騒々しさのうちでは、各人は絶えず場所を変えようとし、すべての人々に大競争は解放されるし、富はしばらくの間に蓄積されたり散ぜられたりする。そのときには、突然の容易な幸運の理念、たやすく獲得されたり失われたりする大なる福利の理念、そんなあらゆる形の偶然の心象が、人間精神にあらわれる。社会状態の不安定は、願望の自然的不安定を促進するようになる。運命のこのような、絶え間のない永続的な千変万化のさなかでは、現在というものが大きな姿をとってあらわれてくる。そのとき、現在は影うすくなっている未来をかくしている。そして人々は、明日のことばかり考えようとしている。

目先のことを考えてばかりいると現実のことが隠れてしまう、そのことから目を背けるのはいかがだろう?

 

民主主義は社会的紐帯をゆるめる。けれども民主主義は、自然的紐帯を引き締める。民主主義は市民たちを引き離すと同時に、親族たちを接近させる。

上の引用は、違和感がある。

日本の民主主義は、社会的紐帯は緩んでいる様だが、さらに、自然的紐帯も緩んでいる様に思う。

それは、危険なことなのかな?

 

民主主義時代に生活している人々は、形式の効用をたやすく理解しない。彼らは形式に対しては本能的に軽蔑している。その理由については、わたくしはすでに説明している。形式は彼らの軽蔑を、そしてしばしば嫌悪を刺激している。彼等は普通、容易な現在の享楽だけを欲しているので、その願望の一つ一つの対象に向って、烈しく勢いこんでとびつくのである。彼らにとっては、少しばかりの猶予も待ちきれないのである。彼等が政治生活にもちこんでいるこの気質のせいで、彼等は 、自分たちのいくらかの計画で、日々の前進を遅らし停止させる形式に対して、敵意を抱くようになっている。

 また同じようなことを引用してしまった、目先のことにとらわれて、先々のことを犠牲にしていないだろうか?