110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

京アニファンの「正義感」ねじ曲げた正体は

京アニファンの「正義感」ねじ曲げた正体は ネットで声優殺害予告の男性「大好きなのに、どうして」12/27(日) 15:02配信 京都新聞


世界的人気を誇る京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)が白昼に放火され、36人が犠牲になった事件は、アニメ業界に危機管理の再考を促した。ファンに夢を届けようと日夜奮闘するクリエーターに対し、敵意が向けられる理由はどこにあるのだろう。(報道部 岸本鉄平、本田貴信)

 

礼儀正しい好青年の自宅に10人近い警察官
透明感のある、美しい映像がスクリーンに流れ始めた途端、涙がこぼれた。
9月に封切りされた京都アニメーション(本社・宇治市木幡)の「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」。公開を待ちわびていた20代の男性は、映画館内でこう思った。「やっぱり、アニメが好き」
同時に、後悔と戸惑いがない交ぜになった感情がこみ上げてきた。
「大好きなのに、どうして、あんな事をしてしまったのか」
この半年前、自宅に10人近い警察官がやってきた。アニメ制作関係者に対する「殺害予告」を掲示板サイトに投稿したとして、脅迫容疑で逮捕された。
男性が京都新聞社の取材に応じたのは、京アニ事件の容疑者が起訴された今月16日。まだ表情にあどけなさが残る、礼儀正しい好青年だった。

 

「自分はアニメに育ててもらった」つらい出来事、自暴自棄
男性は小学1年からずっと不登校で、小6の時に深夜アニメの面白さに魅了された。中でも「中二病でも恋がしたい!」や「けいおん!」など京アニ作品のファンになった。
「作品を通じて、学校生活の楽しさを知ることができた。自分はアニメに育ててもらった」
そう思うからこそ、大好きな声優が頻繁に中傷されるネット空間に憤りが募った。矛先をそらそうと、声優を擁護する書き込みをしたが、思い通りにいかず不満はたまる一方だった。
そんな時、京アニが放火された。大切に育ててきた愛犬が死んだ。SNSを通じてできた唯一の友人とも疎遠になった。つらい出来事が重なり、自暴自棄になった。
「あえて自分が過激な書き込みをすれば、中傷被害に遭う声優に同情が集まるかもしれない。自分は逮捕されてもいいから、ネットの闇を多くの人に知ってもらいたい」
アニメに注いできた熱量は正義感をねじ曲げ、応援している声優たちへの「殺害予告」に発展した。

 

金銭つぎ込むほど満足感「AKB商法と共通点」
作画力やストーリー性の優れた作品は、多くのファンを引きつける。当然、自身の人生を重ねれば重ねるだけ、その思い入れも強くなる。だが、それだけでアニメが作り出す愛憎のメカニズムを説明できるだろうか。
映像作家でアニメ研究家の應矢(おおや)泰紀(46)が着目するのは、ファンに多額の金を費やさせることで成り立つ産業構造だ。
テレビ放映で人気が出たアニメは、DVDやブルーレイ、フィギュアなど多彩なグッズとして市場に流通する。日本動画協会の「アニメ産業レポート2019」によると、こうした二次利用を含めた市場規模は国内外で拡大の一途をたどり、18年は2兆1814億円と10年前の約1・5倍に膨らんだ。
應矢は、アニメ作品に注いだ金銭の多寡で愛着の度合いを測れる仕組みを「お布施」になぞらえる。「ファンにとっては心のよりどころになる。しかし、作品の成功を『自分のおかげ』と錯覚し、ストーリー展開などで『裏切られた』と受け取った時に怒りや失望感が増大することもあり得る」と指摘する。
テレビでアニメを視聴するだけでなく、グッズに金銭をつぎ込むほど満足感が得られる構図は、CD購入の特典としてアイドルの握手会を催し、売り上げ枚数を飛躍的に伸ばした「AKB商法」と共通するとの見方だ。

 

スタジオ見学に制約「溝ができるのは複雑」
一方、SNSの急速な浸透は、ファンの「口コミ」が作品の成否を左右するほどに影響力を持つ時代の到来を意味する。作り手とファンの距離感は絶えず変化し、両者を結ぶ糸は複雑に絡まる。
人気アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」を手掛けた「ガイナックス」の設立メンバーで、16年に京都市内に新会社を設立した武田康廣(63)はこの間、希望者のスタジオ見学を幅広く受け入れてきた。
「そもそも、自分がファンの出身。ファンの応援が次の作品につながるし、見学者の中に将来の仕事仲間がいるかもしれない」との考えが根底にあるからだ。
京アニがホームページでスタッフ日記を公開したり、交流イベントを催したりして、ファンとの絆をつむいできた理由も、そんなところにあるのかもしれない。
だが、武田は、素性のはっきりしない人物の見学を断るようにした。「溝ができるのは複雑な思い。だけど、京アニ事件の衝撃があまりにも強烈だった。自分には守らないといけない人たちがいる」(敬称略)

漫画が好きで、アニメも見るという私としては、本記事の表題に興味があった。

実際に殺害予告をした彼は、愛憎は、強い感情の両極端で同じものだということに気づいたのだろうか?

本記事を見ていて、私には何が書いてあるのかは、実はわからなかった、ただ、私の世代のよりも、今の世代の方がアニメを切実なものと考えているのかもしれないなとは思った。

宮崎駿は「アニメなんか見ても仕方がない」なんていう、一見矛盾している様なことを言っていたね。

アニメの世界は、それがいかにうまく私やあなたの生活感覚に近しいものに感じられても、虚構(フィクション)だ。

当然、アニメが好きなこと自体は別に本人の嗜好だし、別に構わないのだが、アニメの世界以外に(どうしようもなく寂しいかもしれない)現実の生活があるのだということを見つめないといけないのではないのかな?

彼が、20歳を越えて、法律上は大人というレッテルを貼られた以上、そういう、虚構と現実を上手く両立させることは必要だと思うのだ。

現実は厳しい、簡単に答えは出てこない、とにかく、精神が削られるような状況が、終わりが見えないうちに続いていく、でも、それが現実なのだ、TVなら1クール、劇場版なら数時間で、とりあえずのカタストロフを得ることができるアニメの世界に慣れてしまうのは、大変危険だ。

現在のコロナ禍を見てもわかるようにシナリオは全然読めない、その中で、辛坊強く「今」を生きることを見つけることが本当は重要ではなかろうか?

どうも、世論はそうなっていないようなのは、アニメのようなフィクションの考え方が浸透してしまっているということなのかな?