神様になった日
現在の世間にあえてこんな作品を投じることができたことは奇跡に近いのかもしれない。
それは、麻枝准という実績のあるビッグネームが監督をしたからということもあるだろう、しかし、Gyaoの評価を見るとおしなべて低い。
細かいところに気を配ってはいるのだが、全体として、これほど、何も起こらない作品はない、エスカレーションさせれば、どこまでも派手な作品もできたろうに、逆に、それを捨てて、ごく普通に終わらせることを目指したような印象さえ受ける。
それが(普通のことが普通にできること)、とても大事な事だと気づけるほど、世の中は冷静ではないのだろう。
まぁ、還暦間近の私に評価されても、製作スタッフにとっては面白くも無かろうが・・・?
追記:
ふと、この作品で思い当たったことがある、一つは、家族が(善良に)描かれていること、これは、この作品を見る人の評価を左右することだろう、家族観が否定的な人には本作を高評価することはできないだろう。
また、本作の状況は、よく考えると多くの人が当てはまるのではないかと思った。
それは、自分のもしくは義理の両親の介護に直面した場合だ。
意志の疎通ができたり、楽しい思い出を作ったりできる時(親がまだ若いとき)が過ぎて、両親が老いてきた時、病気で寝たきりになったり、認知症になって、実の子さえ認識できなくなった時、その状況を受け止めてやれるのだろうか・・・?
たぶん、麻枝氏はそこまで考えてはいないと思うのだが、実際に親の介護をしている身としては、とても身近な状況であることに気づいた。
そういう解釈を提供した場合、それを受け入れられない人も多いのではなかろうか?