110円の知性

110円(税込)の古本を読んで得た知性とはこんなもの(消費税変更に合わせて改題)。

森元総理の実力

お昼のTVは、余り評判が良くないようだが、今日は何気なく見た時に、昨今の森元総理の発言を巡っての報道があった。

私にとって意外なことだったのだが、そこでは、森元総理を支持する発言がなされたのだ。

私は、もとより、オリンピック自体に余り興味はないのだが、確かに、オリンピックに乗じて経済的な弾みをつけようという国内の動きは確かにあったし、今回のコロナ禍がなければ、その経済効果もある程度は順調に推移したであろう。

そういう面でオリンピック(イベント)の効果を踏まえて、森元首相が過去数十年にも渡って、スポーツ行政に貢献してきたことが報告されたのだ。

その番組のコメンテーター達も「森氏の発言は確かに悪い」と前置きをした後に、氏の貢献を認めざるを得ない状況になってしまったのであった。

彼がいなければ、今回のオリンピックも先のラグビーワールドカップも、全く違った形でしか開催できなかった可能性が高いとすれば、もう少し違う評価の仕方で、森氏のことを考えていかなければならないとも、思ったのだ。

物事(事件)を、今起きている状況だけで判断するのも一面必要なことなのだが、人間が行ったことならば、彼の歴史性を踏まえて判断することも、また他の一面として必要なことなのだと、改めて感じた。

 

追記(2021/2/6):オリンピックの開催動向もさることながら、高齢者だから辞めたほうが良いという風潮もある、しかし、開催に当たって裏方が必要なことを考えると、もう少し、世論は冷静に判断したほうが良いように思う。

極論は、若い人を抜擢して、日本の悪しき風習を一掃すれば、この国は良くなるというものだが、一つに、前世紀に、東京都市博を世論の勢いになって中止させた、故青島幸雄氏のことを思い出した、あの時は、東京都周辺だけかもしれないがイベント効果の分経済は停滞した。

この国の将来性については、すでに、政府関連の産業がGDPの40%を担っているという大分前の数字があり、政策的にも、現在停止しているインバウンドを推進していたこと、また、旅行や飲食業などの不要不急な産業も無視できないことを考えると、若い人になったからと言って、良くなるとは思えない。

若い人が政治の中核になれば、高齢者の社会福祉費を大幅に削減して、現役世代の喝采を浴びるかもしれない、しかし、すでに30%程度いる高齢者の消費支出(ピーク時は40%までいく)が減っても持ちこたえることは可能なのだろうか、そういう議論が出てこないのが不思議ではある。

大半の人は気づいているように、一国には栄華があり、残念ながら日本は現在下降フェーズにある、様々な翻案で日本を活気づけようとはしているが、その効果は、早くも、次の世代、もしくはその次の世代までは掛かるだろう。

そして、今後の10年で、様々なアジア諸国に、経済的な数字で置いていかれることも覚悟したほうが良い、別に、自分より年上世代が不甲斐なかったと糾弾するのは自由なことだが、現在の経済を動かしているのは、今の30代、40代が主力で彼らに世界的に相対的能力がなければ、没落は続くだけの話だ。

国は人でできている民主主義だという人もいるだろう、しかし、この国は、あの戦争の後、多数の犠牲を出した民間人に対しては戦争補償はしていないのだ。

まず、国が第一であることが大前提だと思ったほうが現実的だ。

話はもどるが、森氏の発言をもとに、正義の判断をしているようだが、損得の判断もしたほうが良いのではなかろうか?

氏が辞任すれば、協賛している大手のスポンサーのいくらかは揺らぐことになるかもしれない。

こんな記事もある。

森氏、会見の舞台裏明かす「辞任する腹決めたが説得で思いとどまった」
2/6(土) 12:22配信 毎日新聞
 女性を蔑視した発言を巡る釈明記者会見で辞任を否定した東京オリンピックパラリンピック組織委員会森喜朗会長は5日、毎日新聞の取材に応じ、「元々、会長職に未練はなく、いったんは辞任する腹を決めたが、武藤敏郎事務総長らの強い説得で思いとどまった」と、会見に至った経緯や舞台裏を明かした。
 毎日新聞が4日午前に「辞任の可能性に言及」とウェブで速報したことを受け、組織委幹部らが突然のトップ不在による大会運営の混乱を回避するため、慌ただしく動いたようだ。【鈴木琢磨

追記(2021/2/9)

あぁ、分かった、この森氏の発言問題は、多義的なんだね。

この発言自体をクローズアップすると、いわゆる、差別問題一般に一致するので、問題としては比較的わかりやすい、しかし、この抽象的、一般的な正義論の裏にある、現存する差別問題は、一向に解決される兆候は見られない、さらに、今回のイベントがオリンピックという建前だということが、この議論を更に、この差別問題に収斂させることになる。

多数派の意見はごもっともだが、開催するには、その他の、要素、国として、経済としてなど、そういう視点からの「泥臭い話」が、現実的な課題や問題として横たわっているはずなのだが?

別に、今回の事件で、森氏が辞任しても、世論的な後押しで、オリンピックが中止になっても構わないけれども、日本の国民が熱狂的に、そういう(夢のような)一般論を信奉しているところが、時代の変化を感じる(し、変な世論がまかりとおる世の中にならないか心配だ)。

国力が衰退していることが明らかなので、一生懸命、現役世代は、自らの不甲斐なさを糊塗しようとしているかのようにも見える、あらゆることに関してね。